ぐらんぴ日記

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墜ちた偶像マッカーサー


マッカーサーに関心のないかたはスルーしてください。

「たいして新しいことも書いてないよ」と言われて「そうかな」と思って読んでみたのが文藝春秋11月号『マッカーサー神話の嘘』(ディヴィッド・ハルバースタム)だ。
『ザ・ベスト・アンド・ザ・ブライテスト』でピュリッツアーをとったジャーナリストは二年前に交通事故で亡くなったが、これは彼の最後のまとまった著作になる『The Coledest Winter』の抜粋だ。彼としては初めて扱う朝鮮戦争をテーマとしたもの。
そのヤマ場は、1950年の10月25日。仁川(インチョン)再上陸で北朝鮮軍を分断、潰走させたマッカーサーは鴨緑江まで70キロの地点、雲山まで米・韓両軍を進めていた。あと少しで北朝鮮全域を制圧できるとみたマッカーサーは「クリスマスまで帰国できるだろう」と全軍を鼓舞していた。
しかしその夜、最前線は二万を越える中国軍(当時は中共軍といった)の奇襲を受け地獄と化した。
「三十八度線を越えても中国は介入しないと主張し続けたのはマッカーサーだった。彼の命令によって三十八度線を越えて北上する米軍と韓国軍を迎え撃って、毛沢東は三十万の大軍を朝鮮半島に投入し、戦局は一挙に逆転した」(萩原遼の解説)

軍隅里(クヌリ)、長津(チャンジン)貯水池で凄絶な包囲戦となった米軍韓国軍は精鋭をほとんど全滅させられるという、まさにカスター将軍的な敗北に見舞われた。
驚いたのはアメリカ本土、トルーマン大統領ら政府首脳と統合参謀本部である。
「全然、話が違うじゃないか」というわけだ。
これまでさんざんわがままいっぱいに振る舞ってきた極東派遣軍最高司令官マッカーサーの言うなりになってきたのは、彼のこれまでの功績によるところが多い。仁川再上陸を見事に成功させた彼は、軍人としてその名声の頂点にいた。彼の言うことは「神の声」のようなものだった。
その神が致命的な誤りを犯したのである。しかも侵入してくる中共軍の背後にはソ連が虎視眈々と情勢を見守っている。鴨緑江まで進撃することは「ソ連と中共、二匹の虎の尾を踏むのではないか」と危惧していたトルーマンの民主政権を、まさに驚倒させた。「だから言わんこっちゃない」というわけだ。
しかし毛沢東という虎を怒らせて大敗北を喫したマッカーサーは全然反省しないで、「原爆を二十発も落としてやれ」「台湾の蒋介石軍60万を中国本土に進攻させろ」(そうなれば毛沢東も北朝鮮どころではなくなる)などと無茶なことを言い出してきかない。とうとう頭にきたトルーマンは、1951年4月、マッカーサーを極東軍最高司令官から解任した。

――ぼくが小学校2年の時だった。その朝、遅刻して教室に入ると、クラス全員が静まりかえっている。ラジオ放送を聴かされていたのだ。「何なの」と訊いたら級友が「マッカーサーが辞めさせられてアメリカに帰るんだって」と言った。ぼくは「えーッ」と驚いた。天皇が退位したと聞かされてもそれほどには驚かなかっただろう。

その時のことは昨日のように覚えている(昨日のことはいまろくに思い出せないのに)。
ぼくらはよくも悪くもマッカーサーの影響の下にあって過ごし成長した世代であった。マッカーサーは抑圧する暴君でもあれば庇護する慈母神でもあった。
何しろヘタすれば北海道はソ連に占領されてスターリンの傀儡国家「日本人民民主主義共和国」になっていたのだ。今ごろのぼくはロシア語を話していたかもしれない、いや、その前に栄養不良か、勢力奪回をはかる米国と南日本軍との戦闘で死んでいたかもしれない。その可能性が強いな。エロ小説なんか書いてられる身分ではなかったことは確実だ。

ということで考えれば、北海道人にとってソ連占領を防いでくれたマッカーサーは命の恩人みたいなものである。彼のことについて無関心ではいられないわけである。当時の日本人はみな、マッカーサーを慈父でもあるかのように敬愛していた。彼のもとには毎日、ものすごい数のファンレターが送られてきたのである。まあ、それ以前の軍部と軍国主義政権がひどかったからなんだけれども。
終戦後、焦土と化した日本に「降臨」した元帥マッカーサーは、まさに日本人にとって「現人神」を自己否定した昭和天皇にかわる「絶対神」であった。日本人は彼を救国の神として崇拝した。解任された彼が帰国する時、日本人は泣いて見送ったんである。ウソではない、本当の話。

しかしマッカーサーに対する敬神の念は、彼がアメリカ議会で語った「日本人の精神年齢は十二歳である」という言葉でうち砕かれた。
このあと、彼を愛した日本人はマッカーサーを憎み、そして忘れていった。

解任されたマッカーサーがどうなったのか、そのことについて日本国内ではあまり報道されなかった。
ぼくも、少し調べたことがあるが、彼が大統領選に出馬したがり、かつての部下であり軍人としては西と東にあって対抗していたアイゼンハウアーと競った――というところまでだった。マッカーサーはなぜか「共産主義と戦う英雄」として、凱旋したかのような熱狂的な出迎えを受けたのに、たちまち人気を喪失、老残失意の身をホテル暮らしで終えた。
ハルバースタムの「コールデスト・ウインター」は、なぜ彼がそうなったのかを書いているわけだ。これは読まなきゃいけません。
文春の抜粋は、帰国してから議会でとことん尋問される場面を主に描いている。最初は愛国的英雄だったマッカーサーが、その行動、その思想を問われるうちに「実は誇大妄想を病んだ愚昧狷介心の狭いただの偏屈老人」であることを暴露してゆくのだ。もう怖いよ。(;_;)

なぜ怖いかというと、マッカーサーがその思うとおりに中共、ソ連と対決したら、日本はどうなったかということだ。もし国境線で原爆を使用したらソ連は激怒しただろう。そのとき狙われるのは日本の諸都市だったろう。補給基地だった北九州一帯は文字どおり火の海と化したに違いない。もちろん京浜、中京、阪神の工業地帯も空襲にさらされ、何よりもわが故郷北海道は樺太千島沿海州から強力なソ連軍の侵攻を受けて、迎え撃つ米軍との戦闘で地獄と化したに違いない。いやはや、マッカーサーは自分の信念を貫くためには日本を含めた東北アジアが焦土になってもかまわないと思っていたのだね。
こうなると私やマッカーサーよりトルーマンが恩人だと思わねばならない。しかし末期のマッカーサーはあまりにも国民的人気がありすぎて、大統領でさえ解任するのがためらわれるほどの権力者となっていたのだ。朝鮮戦争はアメリカ政府の「シビリアンコントロール」がぎりぎりのところで維持できた最後の戦争だったのだね。

ということで、詳細は『ザ・コールデスト・ウインター朝鮮戦争』(文藝春秋社刊)を待て。

(画像は終戦直後、日本本土に「降臨」したマッカーサーと側近アイケルバーガー中将。マッカーサーじゃなくてこれはブルース・ウィリスだと言ったら今の人は信じるんじゃないか)
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