ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

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ここに「泉」あり……




二日酔いでなんかもう少し寝ていたいけど、起きてしまったら眠れない。という状態でなんとはなしに『文壇栄華物語』(大村彦次郎、ちくま文庫)を読んでいた。大村彦次郎は講談社の名編集者。いろんな作家とつきあいがあった。隠れたエピソードがいっぱいあって面白い。

そのなかに、大阪の住友合資会社社員の「田中富男」という作家志望の青年が登場する。
彼は戦前、「サンデー毎日」の大衆文芸賞に応募し、佳作入選を果たし、五十円の賞金を得た。戦後、インフレの昂進で住友からの月給では食えなくなった田中は、かつて味をしめた投稿小説に再挑戦する。22年暮に『オール讀物』に「たばこ娘」が採用され、27枚の短編が625円になった。これは彼がもらっている給料より多かった。
サラリーマンとして働きながら、夜、コツコツと短編を書く生活を続けるうち、24年頃から田中は突如売れっ子となった。彼は会社には自分が小説を書いていることを隠していたが編集者が会社の受付にへ訪ねてくるので、自然に内職稼業が知られた。
戦前、住友の重役で、有名な歌人である川田順が「小説を書いていることで、文句を言う男がいたら、いつでも自分が相手になってやる」と田中を庇ってくれた。
その年、住友本社の傍系会社として泉不動産が設立されると、それを機会に、田中は総務部次長として東京に転勤することになった……。

田中富男はそれからもしばらくの間、サラリーマンを続けながら大衆小説を書き続け、人気作家の座にい続けた。

……さて、田中富男は本名で、作品は別名で書いていた。この作家のペンネームがお分かりになるだろうか。小説好きなら「サラリーマン」というキーワードでまずお分かりになるだろう。解答は末尾に記すことにする。

さて、この、田中富男が東京に転勤(というか出向というか)させられた「住友の傍系会社、泉不動産」という部分を読んで、「あ、そうだったか」と、ぼくは卒然と悟ったのであった。二日酔いが消えた。

泉ガーデン

かつて永井荷風の偏奇館があった跡一帯を潰して大規模な都市再開発がなされた。そこに立った巨大な高層ビルが「泉ガーデンタワー」である。付帯施設として泉屋博古館(東京分館)という豪勢な美術館が建つ(といっても地下に作られたので、地上からはその美術館を見ることが出来ない。極めて風変わりな外見(玄関しか見えない)をもつ美術館である)。

「そうだったか……」

偏奇館跡がいったいどうなったのか、実地調査も含めてずいぶんいろいろ調べまわった結果、それは泉ガーデンタワー玄関前駐車場の上空数メートルということが分かった(つまり偏奇館が建っていた崖を崩して斜面とした結果、跡地は「宙に浮いた」のである)。
その時、当然ながら「泉ガーデン」という名を見続けてきたのに、ぼくはその名称の由来を知らなかった。関心を持つべきだったのにね。

http://tate.32ch.jp/shosai/diary/haikai/henkikan.html
http://tate.32ch.jp/shosai/diary/haikai/henkikan_sub.html


『文壇栄華物語』の田中富男に関する記述に触発され泉ガーデンのホームページを見てみると、「住友家の屋号「泉屋」にちなむ」と分かった。
それならなぜ「住友ガーデン」にしなかったのだろうか。森ビルが開発した六本木ヒルズには「森タワー」が建つ。三井不動産が開発したのは「三井ミッドタウン」である。
それは、実は「住友不動産の前身は『泉不動産』だった」からなのである。住友本社のなかの不動産部門が戦後の財閥解体によって新しい別組織を要求され、それが「泉不動産」と命名された。まさに1949年、東京に設立されたその傍系会社に、田中富男は大阪から東京へと出向させられたのである。
どうやら「泉屋」の屋号のもとである「泉」というのは住友家にとって非常に愛着のある文字のようである。なにかと住友に縁のある施設には、とかく「泉~」とつくものが多い。(なぜ泉か、という由来には三説ある。興味があれば住友本社のホームページで見てほしい)。

泉不動産は設立から8年後の1957年(昭和32年)に「住友不動産」と改称された。しかし「泉」という名に対する愛着は連綿と保持されていたので、住友不動産が多大の精力を注入した再開発プロジェクトについては「泉ガーデン」の名が与えられたのである。
そして、泉ガーデンの本拠地となった地には、そもそもは戦前まで「住友邸」が存在していた。(地図画像参照)

六本木から溜池へ下る坂を挟んで対照の地には、奇しくも「三井邸」があった(現在アメリカ大使館宿舎)。三井邸についてはネット上でも詳しい建物図面が得られるが、住友邸については詳細が分からない。偏奇館が炎上させられたあの20年3月9日の東京大空襲で、偏奇館と共に灰燼と化し、その跡地には住友グループの中核組織である「住友会館」が建てられていた。現在スペイン大使館がある隣である。今は高級マンション「泉レジデンス」が建つ。(住友会館はガーデンタワーの最上階に移転して在る)

偏奇館を調べていたから、偏奇館のすぐ隣が「住友邸」であるのは熟知していた。荷風ファンなら誰しもそうだろう。
「道源寺坂は市兵衛町一丁目住友の屋敷の横手より谷町電車通りへ出づる間道にあり。坂の上に道源寺。坂の下に西光寺というふ寺あり。この二軒の寺の墓地は互いに相接す。」と昭和10年(1935年)6月3日の『断腸亭日乗』には記されている。
偏奇館炎上の時の記述にも「時に七八歳なる女の子老人の手を引き道に迷へるを見、余はその人主を導き住友邸の傍より道源寺坂を下り谷町電車通に出で溜池の方へと逃しやりぬ」の記述がある。

だから偏奇館を壊した住友グループの屋号が「泉屋」だから、「泉ガーデン」と命名されたのだ――と、とっくに知っていなければいけなかったのだ。ああ、いかんいかん。

……って、こんなこと知っても知らなくてもどうということはないのだけれどね。荷風と住友財閥は戦後60年を経て妙なところで結びついたのである。


ところで「大阪の住友合資会社につとめていたサラリーマンの田中富男」は、筆名を源氏鶏太として広く世に知られることになった。彼は1958年、泉不動産が住友不動産に改称された翌年、勤続25年をもってサラリーマン生活を辞めた。
のち、作品『三等重役』を映画化した東宝と縁が出来て、監査役に就任している。
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