ぐらんぴ日記

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長者丸にて 2012年03月30日

長者丸踏切

先日、恵比寿ガーデンプレイスを尋ねたおり、周辺をブラブラ散歩していたら、やたら豪邸が多い地区に出た。住所としては上大崎二丁目。しかしマンション名には「長者丸●●」というのが多い。
「おお、ここがかの有名な長者丸か」
ちょっとびっくりした。
知る人ぞ知る、長者丸には建築家、土浦亀城(つちうら・かめき)が住んでいた。
アメリカ帰り、ライトの弟子として建築界にぶいぶい言わせていた亀城が自邸を建てて住んだだけに、当時の高級住宅地の最たるものだった。現在の広いお屋敷やマンション群はその名残りである(豪邸の跡にマンションが建った)。
いきなり何の予定もなく長者丸に出てしまったので、土浦邸探索は後日のこととして、山手線の土手沿いに下っていったら、なんと、とんでもないものが目に飛びこんできた。

長者丸踏切

「やや、こんなところに踏切が」

山手線をくぐる、土手を抜ける通路なのだが、その先に踏切がある。
山手線は大塚あたりに一箇所だけ踏切があるが、それ以外は無い。だからこの踏切は埼京線のものだ。もっと言えば旧来の貨物線。こちらは山手線のように頻繁に往復するわけではないので、立体交差とせずに踏切を残しているのだ。私が知るかぎり、品川〜池袋の間、山手線と並行するこの線の踏切は代々木駅の南口近くにあるものだけだ。
しかし、ここにもあったのだねえ。
調べると鉄道ファンにはかなり人気の踏切らしい。

http://chalow.net/2010-07-29-3.html

歩行者専用の踏切なので、車両が入れないように車止めが設けられているが、複雑な形をしている。どちら側からも坂を下って底になるので、乳母車、手押し車などうっかりすると線路に入ってしまう。それを防止するためのものらしい。
「たかが踏切」と思われるかもしれないけれど、私のように麻布に住んで、めったに山手線の外側に出ない人間には、踏切というのは見る機会が少ないのだ。
しかも、まさかこんなところに、というところにひっそりと隠れるようにして存在している。それだけに新鮮な驚きを味わったのである。



イイネ!(9) くまくま('(ェ)') 霞 小夏マーマレード misaki みーや きた ゆずきいくと のぶ翁。 猫神博士
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コメント

のぶ翁。2012年03月30日 08:00
この踏切は、高校時代ずっと見ていました。
目黒から池袋まで通っていたので。
(だから高田馬場のマリリンモンロー&お相撲噴水も同時期に見ています)

泉麻人さんのショートショート(たぶんアンソロジー『中吊り小説』に収録)に、
車窓から見た長者丸踏切のことが出てきますね。

コメント

ぐらんぴ2012年03月31日 05:03
>のぶ翁さん 高田馬場のモンローと力士の噴水、先日もその話題が出て、盛り上がりました。(^_^;) この長者丸踏切は山手線だと上を通過するので、ちょっと気づきにくいですよね。埼京線なら気づくだろうけど。私はたぶん何度もこの上を通過してるのに、まったく気づきませんで驚きました。泉麻人も気づいたんですね。はあー。

ぐらんぴ2012年03月31日 14:45
都内有数の高級住宅街だった長者丸の由来は、このブログに。part3まであります。

http://tokyo.txt-nifty.com/tokyo/2003/09/1.html

面白いのは「目黒駅追い上げ事件」というのがあったことです。山手線を作るにあたって、目黒駅は当初、もっと西側の目黒川沿いの低地に作られる予定でしたが、そこに田を持っていた農家の反対で東側の河岸高地に立てることになりました。追い上げというのは言いえて妙です。
駅というのはわりと低いところに作られる(渋谷のように)のがふつうですが、目黒駅は異常に高い位置に切り通しを作って設置されています。前後の線路の高低差を考えると、無理な高さであることは確か。かつて蒸気機関車の時代は急坂となって難所となったそうですが、そういう由来があったのですね。
この時代、鉄道線路に対する偏見は多く、中央線も甲州街道沿いに走らせようとして土地が得られなかったといいます。
まあ当時の鉄道というのは機関車の排煙がひどく、一種の公害問題でもあったかもしれません。

ぐらんぴ2012年03月31日 14:59
品川、大崎方面から山手線に並走して北上する貨物線(現埼京線)は、目黒駅までは山手線の西側(外側)を走っていますが、この踏切を通過してすぐ、恵比寿駅の手前で山手線をアンダーパスして東側(内側)に廻りこみ、以後、池袋までずっとそちらを走ります。かつては山手線ともう少し間隔があったようですが、最近になって少し東側に移動させられたような気がします。(古い写真と参照して)

未婚の父2012年03月31日 18:37
>ぐらんぴさん
 山手線は、元々、官設鉄道品川駅と日本鉄道赤羽駅を結ぶ、日本鉄道品川線として、1885年(明治18年) 3月1日に開通しました。その主目的は、日本鉄道の貨車を横浜港へ乗り入れさせることといえるでしょう。1885年に、公害問題で鉄道を忌避するというようなことがあったでしょうか。
 そして、品川駅から赤羽駅を目指すなら、目黒駅直前まで目黒川に沿い、目黒駅から恵比寿駅(開通時には無かった)の間で尾根越えして目黒川から渋谷川の川筋に移るのが、最も合理的な線形といえるでしょう。目黒駅を目黒川沿いの低地に作ったら、目的地の赤羽駅が遠くなるし、渋谷川の川筋に移る坂道がきつくなってしまうでしょう。
 「目黒駅追い上げ事件」のような鉄道忌避伝説について研究した本が、「鉄道忌避伝説の謎(青木栄一著)」です。是非ご一読ください。

http://www.amazon.co.jp/dp/464205622X?tag=halfzero-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=464205622X&adid=1RJGF8035847K18RK1WS&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fhalfzero.sakura.ne.jp%2Fbook%2Frhrq.htm
コメント

ぐらんぴ2012年04月01日 04:23
>未婚の父さん すみません、その本の存在は知っていましたが、未読です。この書のなかで「目黒駅追い上げ事件」についてどのように言及されていますでしょうか。簡略で結構ですので、引用していただければ幸いです。

未婚の父2012年04月01日 09:23
>ぐらんぴさん
「鉄道忌避伝説の謎」には、古くは1817年のイギリスの事例に始まる、多数の鉄道建設とその賛否についての事例が掲載されています。しかし、目黒駅の事例はありません。青木氏の収集した事例にはあっても、本にあげる事例には選抜されなかったのでしょう。そういう事例は多数あります。
 甲武鉄道の事例はあります。そこでは、青梅街道・五日市街道に馬車鉄道を敷く計画があったこと、街道上の馬車鉄道への反対運動については記されていますが、甲州街道については計画さえ無い、当然、反対運動も無いとされています。
コメント

ぐらんぴ2012年04月02日 02:38
未婚の父さんから提示された「目黒駅追い上げ事件」は鉄道忌避伝説の一つで、実際はそうではなかったのではというご意見ですが、
いろいろ調べてみると、そうとも言えないのではないか、という気がします。
私の山手線についての知識の多くは『『山手線の東京案内〜鉄道と地図のフォークロア』木本淳、批評社、97/7新訂版)によるところが多いのですが、
木本氏も目黒駅が現在の位置にオープンカットを施して設置されたことに疑問をもち、「追い上げ事件」と明記はしていませんが、地元住民の反対によって当初位置より移動させられたと書いています。
前後に無理な急勾配をとること、難工事になることなどデメリットを考えると、やはり現路線は「なんらかの事情」によって本来想定されていたいたのより変更させられたとみるのが妥当のような気が、私にはします。
『鉄道忌避伝説の謎』によって全国各地にあった鉄道忌避事件が「都市伝説」とされたことのインパクトはすごくて、引用もされていないという「目黒駅追い上げ事件」も検索すると、否定説ばかりですが、どれもある一個の書き込みに影響されているようで、それもまた心もとない気がします(引用部分がみな同じ)。
私は下記のような論もあることで、必ずしも「追い上げ事件など無かった」という論に与することもないかと考えています。「事件」とまで呼ばれたのだからそれなりの忌避の動きはあったのではないかという気がします。それは地元民の間で語り継がれていて、採録されていても資料探査から洩れているのかもしれません。

『http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/08/meguro_oiageups.html

ぐらんぴ2012年04月02日 02:54
つけ加えておきますが、必ずしも青木栄一氏の著書の論を否定するものではありませんで、目黒駅の位置を巡る問題だけに限定してのことですね。そもそも青木氏が言及していないのですから、否定するにしろ肯定するにしろ論拠とはなりえません。

ぐらんぴ2012年04月02日 04:23
facebook のほうで菅谷充さんから「長者丸といえば、仮想戦記を書くものの間では海軍大学校を連想します」とご教示がありました。なるほど、長者丸の南端のほうに、震災で築地の校舎を焼かれた海軍大学校が1932年(昭和7年)に校舎を開きました。ここから幾多の海軍将星が輩出しています。
戦後、跡地は国立伝染病研究所、関東財務局目黒支局、日映新社目黒撮影所などに利用されていましたが、1999年にすべての建物がとり壊されUR集合住宅(かつての公団住宅)が建てられました。海軍大学校を思わせる何かが残っているのかどうか。
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