ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

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40年も前のこと 2012年02月26日

浅間山荘

浅間山荘クレーン車


mixiにはとっくに書いてるけど、 facebook にはまだ書いてないから、と投稿しておいた記事なのだが、こちらで検索してみると、mixi日記にはどうも書いていないようだ。
では別のところで書いたのかな。知ってる人は知ってると思うけれど、一応、私の体験談を転載しておこう。
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1972年2月27日夕刻、(軽井沢レークニュータウンの)管理事務所にいると所長がやってきて「今夜、警察が特殊な車両を浅間山荘近くまで上げたい、と言ってきた。誘導する人間が要る。きみ残ってやってくれないか」と頼まれた。みんな疲労困憊していて、責任をもたせられる人間で使いものになりそうなのは私だけだった、という事情がある。
ああ、いいですよと答え、家には帰らず寮の食堂で食事を済ませて待っていた。
その車が機動隊の警備車両の先導で到着したのはずいぶん遅い時間だった。真夜中近くではなかったろうか。「案内、お願いします」と警官に言われて出てみたらクレーン車だった。要所要所が鉄板で覆われて、運転者が防護されるようになっている。「なるほど、これで壊すわけか」。私は昔の城攻めの破城槌を連想したことだった。
レイクニュータウンの別荘の道は崖を刻んでうねうねと昇る。なかでも浅間山荘のあるところは、大型車両には難所がいくつもある。しかも雪は降りしきり、いたるところで凍結している。かなりごつい顔した運転手に、ともかく崖側に近づかないようにと告げ、大きな懐中電灯を手にして山道を徒歩で先導していった。ふつうに歩いても30分はかかる道を、降りしきる雪のなか、零下十度近くの寒気に耐えて現場の数十メートル手前、少し駐車スペースのあるところまで誘導した。ゆっくりゆっくり進ませたので一時間はかかったと思うが、頭のなかはこのクレーン車を崖から落っことさないようにすることだけだった。
運転者の腕は確かだった。しかしこの別荘地で四年働き、敷地の隅々まで熟知している管理係長(私のことである)がいなければ、クレーン車は翌28日、その破壊力を発揮できなかったであろう。
しかしまあ、あの年の軽井沢も寒い冬であった。

考えてみれば40年前のあの年も閏年だったのであるな。警官隊の突入、犯人逮捕、人質救出が28日。翌29日に私はまた「現場検証の証人になってくれ」と頼まれて、午前十時ごろ、事件直後の浅間山荘へ入った。民間人としては初めてだろう。零下十度のなかで放水された山荘のなかは氷の鍾乳洞と化していた。天井から滴る水が氷柱になっていて、すべてが氷に包まれていた。あんな奇妙な光景を私は以前も以後も見たことはない。足元の床は厚い氷に覆われて、それを透かしてライフルや散弾の薬莢が無数に散らばっていた。いったい彼らは何発撃ったのだろうか。

J・G・バラードの終末世界を思わせる光景のなかで現場検証が行われた。民間立会人である私の署名と拇印は現場検証の書類に残っている。私は昭和史の証人となったのである。(笑)
(注・クレーン車写真の出典は信濃毎日新聞)


(以下、コメントに答えて)
あの午後、各社のテレビが同じ画面をえんえんと映し続けたのは理由があるのですね。攻防戦が始まってからしばらく(少なくとも午前中までは)浅間山荘を見下ろす斜面に各社はテレビカメラを設置し、最前線での攻防を撮影していました。
浅間山荘との距離は50メートルもなかったですかね。私は現場の責任者としてその斜面に報道陣と一緒にはりついていました。まあそこにいる必要は無かったのですが、下の管理事務所にいても仕事など無い。それに私が軽井沢に来る前まで勤務していた某週刊誌も取材に来ていたので、動けない彼らに握り飯などを差し入れもしてやってました。(笑)
しかしずいぶん警官のほうも被害が出ましたね。斜面のすぐ下の道を血まみれの警官が何人も盾を橇にして運ばれてゆきました。死者二人もそのなかにいたのでしょう。
警官隊のほうには雨あられのようにライフルやら散弾銃を発射していた赤軍派犯人たちですが、それまで報道陣のほうには一発も打ち込んでこなかった。目と鼻の先ですからいくらでも撃てるのにそうしないのは「マスコミ報道陣には撃つ気はないのだ」という推測を皆、自然にしてしまったのですね。誰か代表が犯人たちと話しあったわけでもないのに。(笑)
私も自然に「ここは安全だ」と思っていました。ところが午後になって、いきなりライフルの弾が飛んできたのですね。撃たれた時は分かりませんでした。目の前の枝が折れて跳び、雪の表面がパッと弾けたのです。それは報道陣のまん前でしたので誰もがその現象を目にしました。
私は一瞬、「これはなんなのだ」と思いました。なぜいきなり木の枝が折れ、雪の表面が飛び散ったのか。しかし次の瞬間、ヒューンという音がしてさらにパンという音が聞こえました。それで「あ、ライフルで撃たれたたんだ」と気がついたのです。撃たれる場所では着弾音、飛翔音、発射音の順に音が届くのですね。
それに気づいた報道陣は総崩れになりました。だって身を守るべきものが何もない地形なんです。撃たれたらひとたまりもありません。それで全員が必死になって斜面を駆け上がり尾根の向こうへと転がりこみました。当時の私は身が軽かったので報道陣の背中を踏みつけながら一番に尾根の向こうへダイブしました。私の上から尾根を乗り越えた彼らが必死の形相で転がり落ちてきましたね。私の人生で銃弾がすぐ側をかすめた体験はこの時だけです。
そのせいで報道カメラはフィックスを余儀なくされたんですね。動かしようがない。だからどの局のカメラも同じ画像をえんえんと流し続けたのです。

イイネ!(3) ワグマ  水星騎士(゚-゚)牙魅!  Commander-紫弩
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コメント

のぶ(nob) 2012年02月26日 15:34
知らなかった。軽井沢で管理人、という話は聞いていたけど、まさかあのときの現場責任者だったとは。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月26日 16:40
30周年の回顧番組として、確かNHKの『プロジェクトX』みたいな番組で、この時の攻防戦をとりあげたことがありました。この時登場したのが、このクレーン車で、それで思い出して「あれはぼくが誘導して現場まで揚げたのだ」と書いたことがあります。10年前ならmixiはまだやってませんね。ホームページのabnormalラウンジのほうにでも書いたんでしょうね。

森 美貴 2012年02月26日 17:23
すごーい!経験されたのですね。知りませんでした。(゚O゚;)
コメント

竹丸。 2012年02月26日 17:30
びっくりです
たしか、中学の期末試験中で先生がTVばっか見ちゃあ駄目だそ〜って言ってたけど
ずっと、TV見てたの思い出しました
すごく、いろいろな意味でショックを受けたのを覚えています。
まさか、あの時の関係者と知り合いになれるとは・・・・

今さらながらですが、ご苦労様でした!!!

コメント

マーサ☆リノイエ 2012年02月26日 17:43
拝読した記憶がありますです。
改めて、ぱねぇ経験を、なさったのだなあと、ガクブルしております。
コメント

あみ 2012年02月26日 18:18
abnormalのMLに投稿されていたのを読んだ記憶があります。
前にプロジェクトXで放送された時、若きぐらんびは映るかなー、と探しましたから、書かれていたのは10年以上前ですね。



コメント

ぐらんぴ2012年02月26日 18:22
>あみさん すごい記憶力。(*_*;) じゃあその前に何かの折りに書いたんだ。私、けっこう吹聴してるじゃん。(^_^;)

チヒロ(♂)2012年02月26日 23:09
この事件は、僕の記憶にないできごとだったので、とても興味深く拝見しました。
クレーン車は、もともと米軍の戦車運搬車というデカブツだそうで、それを雪と氷の山道で誘導されたぐらんぴさんて、すごい……。
ほんとに、昭和史の証人ですね。

山荘を写すカメラが固定だった理由、以前、ぐらんぴさんが述べられていたのを拝見した記憶があります。4、5年前かな。
他の話題からの流れで書かれていたのかもしれません。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月26日 23:44
音速は-10℃ぐらいだと秒速が325メートルぐらい。ライフルの初速は800メートル毎秒ぐらいだから、音の倍以上早く弾が飛んでくると考えればいいわけですね。

霞 2012年02月27日 13:56
すっごい経験を、なさったのですね。
戦後は、やくざの抗争の撃ち合いくらいで、あんなすごい銃撃戦はないですからね。
ぐらんぴサマは、作家とは思えぬ力を持っておられたのですね。
現場におられたのですから、すごい!!
テレビにない情報、あのときの凄さが倍増されました。

長野には、冬場ですからおりませんでしたが、われわれの村の下のいつも買い物に下りる丸子町に上垣兄妹が逮捕されたという報道が流れました。
その夏、いつものように丸子の上の武石村の山小屋に出掛けてゆくと、丸子の駐在さんがやってきて、ベランダで「カラマルツ」を飲みながら、事件の様子を語ってくれました。そして当時の記録の小冊子をくれました。

カラマルツといっても、ほとんどの方が知らないと思いますので、ちょっとご説明を…。
それは、たしかオランダの小瓶のビールで、当時日本にはなかったアルコール度Ⅰパーセントくらいの発泡ビール。日本のメーカーでは、のちにキリンなどが発売しましたが、日本製はまだなかった。主人は飲みつづけながら原稿を書くので、西武デパートの洋酒部に長野から発注して、数ダースずつ届けてもらっていました。さすが、当時の西武。4トントラックにカラマルツだけをちょこっと乗っけて、ゆらゆらと山道をのぼってきた光景を、くっきりと思いだします。
「松本さんちのサイダーは、酔っ払っちゃうだに。気をつけねえ」
と、管理してくれているうちのおじいちゃんがうれしそうにみんなに忠告していたのを、思いだします。
連合赤軍は、なんと、そのおじいちゃんの家にも雪の中を転がりこんできたのです(つづく)
コメント

霞2012年02月27日 14:14
(つづき)
おじいちゃんの家には、わが山小屋を立派に改築してくれた息子さんがいましたが、彼は、仕事に出かけたあと。
老夫婦が、食後のお茶を飲んでいるところに、雪まみれの若者ふたり。疲労しきって転がりこんできたそうです。

そりゃ、時が時です。ぎょっとしますよね〜。
でも、話をしているうちに、私たちの少し上の、「早稲田の山の家」のメンバーでした。登山中、道に迷い運よくおじいちゃん、おばあちゃんの家にたどりついた。でも、「連合赤軍?」と、思い込んじゃっても仕方ないですよね。下の町までは、逃げてきたわけですから…。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月28日 01:35
この事件後、「浅間山荘事件とは何だったのか」ひいては「連合赤軍とは何だったのか」という思索研究のブームがありましたが、私は妙なトラウマ感覚があり(人質の奥さんと面識があったことなど)逆にあの事件から目を背けるようになりました。というかさほど興味を抱くことがありませんでした。
この記事を書くついでに Wikipedia を見て、あの鉄球作戦が「失敗ではなかったか」「失敗だった」という論評がなされていることをしりました。
確かに即席の装備だっただけで鉄球の威力はさほどのものではなく、途中でバッテリーが故障したために動かなくなり、思ったほどの破壊力をふるうことなく終わったのです。まあ、警官隊が突入できるぐらいの突破口を開けることは出来たのでしょうが。
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