スタインベック覚え書き 2011年09月15日
2012-05-20
ジョン・スタインベック。
アメリカの文学者。ノーベル文学賞受賞。
著名な作品は『二十日鼠と人間』、『怒りの葡萄』(ピュリッツアー賞受賞作)、『エデンの東』、『我らが不満の冬』。
1968年、66歳で死去。かなり老人っぽい顔が著作近影に使われていたから、そうとうな年で死んだと思っていたら、なんと私のほうが彼の享年を越えていたとはね。
スタインベックで思い出すのは、ベトナム戦争たけなわの頃、最前線を視察して書いた従軍記。日本では毎日新聞が連載した。全面的にジョン・ウェイン的愛国主義の筆致で、時のジョンソン政権を支持し兵士たちを鼓舞している。私たち学生は「あのスタインベックがこんな偏狭な反共思想の持ち主だったとは……」と、かなり驚愕失望したのを覚えている。
ベトナム戦後、日本でもスタインベックの書が読まれなくなったのは、この時の従軍紀行のせいではないだろうか。ちなみに私は一冊も読んでいない。『エデンの東』(自伝的長篇)を映画で見たぐらいである。
さて。今家人が捨てる書のなかに『アメリカ大西部』(猿谷要、新潮選書)を見つけたので救出、どんな本だったかな~と最初のほうをパラパラめくっていたら、こんな描写が目についた。
サン・オーキン平野(サンフランシスコとロスアンジェルスの間にひろがる肥沃な平野)について語ったあとで、
《もちろんこの平野も、初めからこれほど豊かだったわけではないし、人びとのパラダイスだったわけでもない。それはいま私たちが進んでいる前方の(注、つまり平野の東北部)山のうしろにある小さな町、サリーナスに生まれ育ったスタインベックの、あの『怒りの葡萄』を読めば充分に分かるはずである。その小説に描かれた農業労働者の悲惨さに、サリーナスの人びとはスタインベックを憎み、和解のないままに、文豪は一九六八年に世を去った。(一九七八年二月二十七日、スタインベックの生誕記念音楽祭が、生地サリーナスでひらかれ、このノーベル賞作家は、死後十年めにして、サリーナス市民と和解し¨市民権¨を回復した。》
ああ、そうだったのか。そりゃそうだよな。舞台となった町のプライドというものがあるからねえ。いくら文豪の生誕地だったからとはいえ、自分たちの町をひどく描かれたサリーナス市民は死ぬまで彼を許せなかったのだ。
しかし10年目に許したというのは、「スタインベックを生んだ町ということは、観光資源になるのではないか」という思惑があったからではないか、という気がする。
たぶん今ではサリーナスのあちこちにスタインベック記念館とか由緒にからめた名所があちこちにあるのではないか。スタインベックにちなむ土産物もあるかも。
これは奇しくも日本の文豪、夏目漱石と『坊ちゃん』の舞台、松山市の関係を連想させる。
松山の中学校で英語の教授をしていた夏目漱石は、校長より高い給与をもらっていたのにこの町と学校と生徒が嫌いで嫌いで、1年で辞めてしまった。それから十年後、『坊ちゃん』でこの町と市民と生徒をめちゃくちゃ罵倒した。最後には「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。」
とまで書かれたのである。
当初、この作品が発表された時、松山市民は激怒したという。市長も怒りまくったらしい。まあ、それが正当な反応だろう。スタインベックが描いたサリーナスの市民もこんなようなものだったろう。
それがどうだろうか、今や夏目漱石は松山市の観光資源。坊ちゃん饅頭から坊ちゃん電車まで何でもある。もう夏目漱石さまさま。
スタインベックとサリーナス市民の和解は30年ぐらいかかった。漱石と松山市民の和解はどれぐらいだったのだろうか。
スタインベックのサリーナス、漱石の松山、作品のなかで悪く書かれた住民たちが憎んだり愛したりした例は他にどのようなものがあるだろうか。
イイネ!(4) ワグマ 猫神博士 きた かおる姫
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コメント
霞 2011年09月15日 16:42
わたしは、昔、主人を送りだしたあと「怒りの葡萄」を読みはじめました。
長いですよね~。でも主人の帰宅もいつになるやらわからないので(笑)
それにわたし、当時は全十巻なんていう、大長編小説ばかり読んでいましたから。外国小説ばかりになってしまいますが…。作中の主人公たちとわかれたくなくなっちゃうんですかね~。
主人が帰宅したのは、朝日がのぼりはじめたころ。読んでた本が悪かったのか…。朝帰りなんてめずらしくもないのに、急にハラがたって、わたし喧嘩を吹きかけました。「怒れる若妻」です。(笑)
しかし酔って朝帰りの夫には、ぜんぜん通じず、すぐに高いびきで眠ってしまった。おたずねのお答えにはなりませんが、くっきりと思い出してしまったので、ゴメンナサイ。
ぐらんぴ 2011年09月15日 17:14
>霞さま
人に歴史あり歌に歴史ありと言いますが、書物にも歴史があるのですね。私は旅の時に持参していって、宿泊先で読んでいますが、そういう書物は旅とは無縁なのに、あとで旅の思い出とともに甦ります。
そうやって書物は人生の一部に組み込まれるんですね。
今調べたら、サリーナスの町には思ったとおりスタインベック記念館がありスタインベックの生家や父親の経営していた飼料店(現在はコーヒーショップ)などが観光地となっている由。ただし通りすがりの観光客には、スタインベックとこの土地の人々の確執などは窺い知るべくもないようです。
マーサ☆リノイエ 2011年09月16日 07:41
西原理恵子さんの「この世で一番大事な『カネ』の話」(理論社)という青少年向けの本が、すごかったです。
町の名前は書いてありませんが、高知の工業団地の町と書いてあります。
実のお父さんはアル中で、三歳の時にドブにはまって死んじゃって、
育てのお父さんはギャンブル中毒で、大学受験の日に、お母さんをボコボコに殴って血だらけにした挙句、首を吊って死んじゃう話です。
それがさほど珍しくなく、女の子も男の子もシンナーで誰かれ構わずやりまくり、気がつくとどこへ行ったかわからなくなるか、太って怒ってばかりいるおばさんになるそんな町から逃げ出すお話です。
ぐらんぴ 2011年09月16日 07:47
>マーサ☆リノイエさん 西原女史はもう自分の少女時代のこととなると、クソミソですもんね。先生の悪口などすごい。言われた先生は怒るより先に自殺したくなるんじゃないかというぐらいの罵詈讒謗。その『カネ』の話に書かれたのも女史の育った町のことなんでしょうねえ。果たしてサイバラは生まれ故郷の町に迎え入れられるのか。
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