ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

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中井國二くんのこと 2011年08月26日

GSブームが始まったばかりの頃、芸能週刊誌記者だった私はザ・タイガース番だった。渡辺プロにわりと食い込んでいたからで、GSそのものにはあまり興味が無かったのだけれど(今でもだが)。
そういうわけで彼らが大阪から上京、都内のジャズ喫茶で活動し始めたころから、全盛を極めるところまで、私はほとんど彼らと生活していたようなものだ。
中井國二くんはザ・タイガースとしてデビューした時から解散コンサートに至るまでの担当マネージャーだった。誠実な人柄で、頼んだことは着実に応じてくれた。当然ながらよく一緒に呑んだ。
ある日、彼が言ってきた。
「実は、明日、最初の仕事が表参道なんだけど、そのあとジュリーを除く四人の取材になって、ジュリーだけ一人ヒマになるんだ。その間、彼だけ人目につくところに置いておけない」
「そりゃそうだろうな」
その頃の沢田研二の人気ときたら、今のジャニーズ事務所の誰をもってきてもかなわないぐらい凄かった。なにせ沢田を見ただけで失神してしまう女の子がいっぱいいた。そんな沢田を原宿あたりで一人にしたら、アマゾン川でピラニアに食われる牛のようなものだ。
「そこで相談なんだけど、Oさん(私のことだ)の家、神宮前だよね」
「そうだけど。きみも来たことあるだろ」
「おたくで、取材終わったあと二時間だけ沢田をかくまってくれないかな。ぼくが彼を連れてゆき、連れ戻しにゆくから」
――というわけで、人気絶頂のアイドルGS歌手を一DKの狭いアパートに預かることになった。昼間だから当然、私は記者として別の仕事にかかっている。家にいるのは新婚そうそうのカミサンひとり。
不思議なもので、そういう状況なのに、何も考えなかった。

その秘密の隔離作戦はうまく言ったと、中井くんから連絡があった。
その夜、私は家に帰ってカミサンに様子を聞いてみた。
「ジュリーは私のタイプじゃないし、話題もないし、一人でテレビ見せて私はキッチンにいた。向こうも退屈してたんじゃないかしら」
ジュリーとはそのことで何か話した記憶はない。

数年前、赤い服を着て還暦コンサートで歌うジュリーを見てカミサン曰く、
「ふ、ふ、太ったわねえ……」
ジュリーと二時間、二人だけでいた、なんて人生の思い出の一つになると思うのだが、カミサンは全然、忘れていたらしく、その時のことを言ってやったら、
「はー、そんなこと、あったっけ?」

私は芸能週刊誌記者をやめ、出版社も辞めて、長野県の別荘地で管理人になった。絶頂を極めたあとのザ・タイガースは加橋かつみの脱退以後、内紛が続き、私は密着することもなかった。私が解散の報を聞いたのは長野の山の中である。
以来、四十年近く、ザ・タイガースとは接触がない。

今週の週刊文春、阿川佐和子のインタビュー『阿川佐和子のこの人に会いたい』で、瞳みのるが登場している。
ザ・タイガース復活コンサートに彼が参加することになったことに関して。
瞳みのるも私と同じように、解散以来、一度も他のメンバーと接触を持たなかったという。
ご存知のように彼はグループ解散後、芸能界を離れ、大検をとって慶応に進み、高校教師となり、やがて中国文学の研究者となった。

その彼がなぜ芸能活動に戻ってきたか、そのあたりがインタビューの芯になっているわけだ。
そこで中井くんの名前が出てきた。
かたくなに芸能界を避ける瞳を、中井くんは何度も訪ねて説得したそうだ。
彼が復活コンサートに参加することを決意させたのは、中井くんの努力があったからなのだね。
「はあー、そうだったのか。あいつらしいなあ」
彼の朴訥実直な性格を思い出した。

ショックはインタビューの最後、阿川佐和子のあとがきを読んだ時。
中井くんは8月18日、自分が実現させた復活コンサートを観ることなく、闘病生活の末に亡くなっていたのだ。
久しぶりに懐かしい名前を目にしたと思ったら、それが訃報とは。
今は冥福を祈るしかない。合掌。

イイネ!(11) おねえちゃま 鈴木輝一郎 竹丸。 黒木仙伍 FIVEPLACES きた Y嬢 tag 猫神博士 まさタロー
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コメント

猫神博士 2011年08月26日 20:59
「ジュリーは私のタイプじゃないし」と言い放つ奥様が凄いですね!

中井さんの話も心に染みました。

そろそろ当時のことをお書きになってもいい頃合いではないかと思うのですが……と、以前にも同じようなことを言った記憶がありますが、こうして小出しにされると、もっともっと読みたいという気持ちを煽られます。

GSは確かに時代の徒花なんだけれども、個人史的にはちょうど怪獣ブームと重なるところもあり、けっこう思い入れが深いのです。

きとら 2011年08月26日 23:04
す、すごいエピソードですね・・・。
GS・・・私はザ・スパイダースがもしこの世に存在していなければ
今もポップスを聴くことなく毎日を過ごしていたような気がします。
(そして、田邊昭知さんは理想のカーさんだったりします。。。)

私も舞台制作の片隅の片隅の片隅に居るものとして、
中井さんのお話を受けて、何かしらの働きをしたいものです。

ぐらんぴ 2011年08月27日 05:21
>猫神博士さん
芸能誌の記者なんて人を傷つけてなんぼの存在でしたからね、血を流し流されのトラブルの記憶ばっかり、本当のところ、あんまり思い出したくもないんですよ。断片的にいい思い出もあるんですが。

中井くんのことを思い出すのは、いつも苦衷に満ちた表情をしていたこと。
瞳みのるのインタビューを読むと分かるけれど、ザ・タイガースのメンバーがやりたかったことは、ビートルズやローリング・ストーンズに刺激された男の子なら誰でもめざすロック。しかし芸能プロ(渡辺プロも堀プロも)がやらせたのは、女の子受けする甘い、学芸会ふう(by瞳みのる)歌謡ポップス。誰が好き好んで『花の首飾り』など歌いたがるか。メンバーの欲求悲願とプロダクションの強硬方針(メンバーを従わせるためのえげつない方策)の間に挟まれて、中井くんは悩みっぱなしだったのだね。このおれも「彼らにあんな歌を歌わせて、きみはそれで満足なのか」と詰めよったこともある。
グループサウンズ歌謡という、ひどくユニークなポップスがおかげで出来たことは事実だけれども、私は今でも、猫神博士のおっしゃるとおり「時代の徒花」だと思っている。GSのおかげで日本のロックは十年遅れた、という井上忠夫(のち大輔、2000年5月に自殺)は生前語っていたけれど、私も全面的にそう思う。
まあ中井くんもメンバーが願うようなロックを演らせたかったのだろうけど、結局は社員マネージャーであるから、限界はあって、常にメンバーを妥協させるように動くしかなかった。思えば、私と彼の幸福な関係は人気が上昇中の間だけ保たれていたことになる。「スターになれば、人気が出れば、やりたいことをやれる」と信じていたタイガースのメンバーは常に裏切られて挫折させられ、瞳みのるも言うように「搾取され」続けることになる。彼が芸能界から永遠におさらばしたくなった気持はよく分る。


ぐらんぴ 2011年08月27日 19:26
しかし、現役の頃はバカにしていた彼らの曲だけれど、カラオケでひょいと『花の首飾り』なんかかかると、私もつい一緒に歌ってしまう。彼らの苦悩に関係してなきゃ悪い曲じゃない。『シーサイド・バウンド』だって歌えるぞ。(笑)

猫神博士 2011年08月28日 00:05
『週刊文春』買ってきて、インタビュー記事読みました。さまざまな葛藤があったことがひしひしと伝わってきますね。だけど瞳みのる氏の写真、往年の二枚目に歳月の渋さが加わり、今じゃジュリーをはるかにしのぐ男前ですね。

ぐらんぴさんの中でもまだ生々しい記憶なのでしょうけれども、たとえば中井マネージャーの葛藤を軸に、間接的に彼らとあの時代を描く、などというかたちで、いつか回想録がまとまることを、首を長くして待つことにします。

「花の首飾り」は、ずっと前に弾き語りのレパートリーに入れようと思い、エレキギターでブラック・サバス風の重いリフをつけて、よく歌っていたものです。結局人前で披露したことはないのですが……。
「シーサイド・バウンド」あたりは、マージービートには及ばないかも知れませんが、わりと彼らが目指したものに近い曲だったのではないかと愚考する次第です。

ぐらんぴ 2011年08月28日 06:13
猫神博士のコメントを読んで思い出した。タイガース解散から五年もたってのことだろうか。私が東京に戻ってライターをやってると知った、渡辺プロにいた旧知のH氏(中井くんではない)から電話があった。「タイガースについての回顧録のようなものを書いてくれないか」。聞いてみると、渡辺プロサイドから見たタイガース史になる。「冗談ではないよ。おれがなんで芸能記者辞めたと思ってるんだ」と腹を立てて電話を切ったが、ナベプロサイドでは、自分たちが日本のロックの流れを阻害妨害したとは思ってないのだとしみじみ思ったことだった。
まあ、タイガースの悲劇は、最後になって加入させた沢田研二があまりにも美貌の持ち主(歌はヘタだったが)だったことにあるんだろう。ナベプロはつまるところ、沢田のエンターティナー性だけを欲していた。当人もエンターティナーであれさえすれば、ロックなどやれなくてもいいと思っていたところがある。その潔さには感心するしかないが。ナベプロの「沢田だけ主義」に嫉妬した加橋かつみは六本木の女帝、川添梶子にそそのかされて脱退に踏みきった。そこから分解が加速していった。こう考えるといくつもの悲劇と愚行が折り重なってタイガースというグループの歴史が織りなされているわけだ。これはなかなか一人では書けないね(今となっては誰が読むかという問題があるが)。さらに関係者のほとんどが生存しているということもあり、誰かが死なないかぎり言えない、というエピソードが多すぎる。(笑)

猫神博士 2011年08月28日 15:06
なるほど、いろいろと差し障りのあることもあるようですね。
でも、今回の日記を拝読し、瞳氏の発言を併読すると、ある程度輪郭がつかめたように思います。
ゴールデンカップスなどは、わりとぶっちゃけた話をしていますが、やっぱアイドル性の高かったタイガースでは、なかなかそうは行かないようですね。
貴重なお話をありがとうございました。

ぐらんぴ 2011年08月29日 05:26
私はカップスの担当ではなくて、直接的な接触はなかったのですが、彼らが一番、やりたいことをやりたいように出来たバンドじゃなかったですかね。当時のロックバンドとしてはナンバーワンの評価を得てましたし。
タイガースも女の子向け学芸会ソングじゃなくて、カップスの路線をやりたかったんでしょうなあ。当時のロッカーたちからは「おめーらのやってることは何だよ」みたいに言われて、大スターバンドでありながら肩身が狭かった。
頼りになる内田裕也はナベプロに脅迫されて遠ざけられてしまったし、孤立無援。すべての悲劇は「大人たちに徹底的に管理されたバンド」ということだったんですね。

猫神博士 2011年08月29日 20:49
そういえば、ヘビメタ「花の首飾り」を演奏しようと思って、行きつけの楽器屋に楽譜を買いに行った時、GSブームの頃に中学生だった女店長が、自習時間の時にクラスメイトが持ってきたタイガースのレコードを教室でかけて、みんなでキャーキャー言っていたとなつかしそうに回想してました。「それまで、そんな風にキャーキャー言えるものって、なかったのよ」と店長が言った時、なるほどそういうものかと思いました。
タイガースは、初期のビートルズが担っていたそうしたアイドル性を、日本において展開したバンドだったのだなと思う次第です。
ただ、彼らの悲劇は、それがバンドが望んでいたことではなかったということ、そしてそれによって大人たちから徹底的に搾取されてしまったということにあるのでしょう。
確かタイガースのレコードって、演奏は達者なスタジオ・ミュージシャンが起用されて、本人たちは楽器にさわることすら許されなかったということでしたよね。
だからタイガースの場合、カップスの『ワンモアタイム』のように、すぐれたドキュメンタリー映画がつくられることもない、ということなのでしょうね。
なんとなく腑に落ちる気がしてきました。
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