ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

死に目 2011年06月19日

ふだんは気の強い姪が、泣きながら父親の容態を電話してくる。
「そうか、この子は親の死に目にまだ会ってないんだ」
当たり前のことに気付いた。彼女にとっては初めて遭遇する人生の一大事なのだ。

私は早くに(と言っても30を過ぎていたが)父親と母親を亡くした。どちらもガンで、最後になってようやく意識を失ない、息をひきとった。
だから私は、三人兄弟の誰もがガンで死ぬだろうと思っていたが、次兄は脳梗塞で倒れて重篤だ。「そうきたか」という思いがする。天は予想外の試練を与える。

ガンは長く苦しむ病気だが、それでもメリットはある。死期を悟ってから死ぬまで時間がある。いろいろな整理をして会いたい人間には会い、心おきなく別れることが出来る。近親者も覚悟して看取ることができる。
脳梗塞は違う。いきなり電撃的にやってくる。心の整理ができない。近親者も。
次兄の場合は幸か不幸か一撃では倒れず、KO状態まで一か月以上の、意志を表示できる間隔があった。だから家族には「延命治療は無用」と言い残している。
しかし脳幹出血は難しいのだ。あらゆる意志表示能力が失われても意識が残っている場合がある。よく瞼の開閉で意志の疎通ができるというやつ。マイミクのぶさんのお兄さんがその状態だ。パソコンや携帯の暗証番号をそれで訊くことができた。
こういう状態だと、たとえ本人や家族が延命治療を望まなくても医師が決断できない。治療放棄を許さない医師もいる。脳死以前、脳の一部で理性が生きているからだ。こうなると家族はつらい。

どっちにせよ、家族が生かせるか死なせるか、その判断を求められるというのは最悪の状況だ。
私の父の場合、末期は見かねて家族が医師に「楽にさせてあげて」と頼んだ。これも辛いが苦しむ姿を見るほうが辛い。究極の選択である。

次兄の場合、義姉がその判断を求められる時が近い。
そんな決断を回避できるのは自然に体力が落ち生命力が失せてゆく場合。つまり「死を願う」ということになる。
患者のためだとしても家族の死を自発的に願うというのは、やはり辛い。私はそれを両親の時に味わっている。「なんとか生きてて欲しい」と「もう充分苦しんだから早く楽になって」という二つの願いに挟まれるぐらい苦しいことはないよ。義姉も姪も挟まれている。私もそうなのだが私に決断の権利はない。
==============================
コメント

わらねこ@笑夢猫2011年06月19日 06:21
実父が昨年10月に亡くなった。8月に小さな心筋梗塞がいっぱいできていて、普通の人の3分の1しか動いていないと言われて、その時点で、延命について色々聞かれた。
母は私は血が繋がっていないからと、兄と私に判断を求めた。
実父の場合、12年前に心筋梗塞で倒れていたし、ここ10年は透析生活。さらに、2年前に透析中に脳梗塞。
その後は、月に1度は転倒して怪我。リハビリも通ったけどなかなか、思うような成果もでなくて。
初めの心筋梗塞以降12年は実父にすれば、不本意だったろうと思ったので、延命はしないが、苦痛は取ってほしい…で、3分ほどで家族会議は終了。

死を待つ…善くなることはない。重たい2ヶ月でした。早くお迎えがきたら、どんなに楽だろう…そんなことも考えた。

幕切れは呆気なかった。突然、血圧が下がりはじめ、あっという間にフラットになった。下がりはじめて30分くらいで。誰も、結局、死に目には会えなかった。

去年5月に、庭先で転倒したのがきっかけで、まさか、死んでしまうなんて、誰も思わなかったから。

何かね、ぐらんぴさんのお兄さんのお話、身につまされています。


あられ。2011年06月19日 09:05
 私の祖母は15年ほど前に脳梗塞で倒れ、寝たきりになり数年の介護生活を経て亡くなりました。最後は病院に運ばれ2ヶ月ほど意識がないまま、亡くなったので覚悟といえばできていましたが・・管につながれ、呼びかけても、反応のない祖母を見るのは辛かったです(でも、当時幼稚園だった息子が呼びかけた時だけ、2回もうっすらと目をあけて曾孫達を見て、にっこりと笑ったので、今でも母が「曾祖母を呼び戻した」と語っています)

 その反対に今年の3月になくなった祖父は心臓にペースメーカーをいれて7年、自分の心臓単体では動いておらず、「いつ死んでもおかしくない」と7年以上いわれて、要介護度4を受けながら、まぁ、カラオケにはいくは、色々な名誉職をつとめ「老害」と陰口をたたかれながら(^^:あちこちで演説をぶり、本人も家族みんな本気で「100歳までいきる」と思っていましたが、ある日外出から上機嫌で帰って、玄関を入ったとたん「ばたん」と倒れてそのまま亡くなりました・・苦しまずにまさに大往生だったと思いますが、家族はまだ亡くなったという感覚がなくて(;_;)

 祖母は苦しまずにただ意識混濁状態でしたが、それでも治る見込みがない状態で見守りましたから、ぐらんぴさんのお兄様のお話が・・わかる、といっては失礼かもしれませんが、涙がでてきました。

ワグマ2011年06月19日 20:40
私の父は、脳腫瘍で、1978年に亡くなりました。最初は、原因不明で(父はかなり不安を、抱えていました。)じわじわと死の影が近ずくというものでした。新潟の大学病院でMRIをとり病名が判明した時には、手遅れでした。医療技術の進歩は、ものすごいものが、有ると思います。

ぐらんぴ2011年06月20日 07:40
>天音@わらねこさん
12年も寝たり起きたり透析を続けたりという闘病生活は、本人も辛いけど家族も相当な心労苦労があったことでしょうね。唯一、最後はすうっと苦しまずに死ねたというのが幸いでした。兄もそうやって逝ければと思うんですがね、医師は人工呼吸装置をつけないと苦しむと脅かす。延命措置を願わない兄は口はきけないけど人工呼吸装置を見ただけで怒るというのですよ。どうしたものかなあ。やはり本人の意思を尊重すべきだろうと思うのですが。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://jun1tate.blog25.fc2.com/tb.php/1840-66b4f0fd

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

ぐらんぴ

Author:ぐらんぴ
官能作家・館淳一。趣味は路上観察、雑学研究からセーラー服ウォッチング、美女装子探しまで、なんでも探索。
館淳一ホームページ

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (1721)
飲食店 (6)
Mac (8)
電子書籍 (4)
mixi (4)
身辺雑記 (71)
美少女 (2)
セーラー服 (2)
ネット (3)
仕事 (10)
文学・小説 (12)
雑学(地名) (3)
出版・編集 (7)
雑学(死語) (5)
永井荷風 (6)
雑学(モノコト) (10)
事件(社会) (14)
事件(世界) (6)
政治 (1)
道具 (3)
回想 (11)
SM (2)
路上観察 (14)
女装 (6)
工作 (1)
ミュージック (7)
雑学(軍事・武器) (2)
アート・美術 (6)
原発 (7)
怪談・超常現象 (6)
病気 健康 (3)
ランジェリー (2)
夢 幻覚 (2)
映画 映像 (2)
料理 酒 (4)
日本語 (2)
植物 (13)
雑学(地理 地史) (3)
雑学(英語 外国語) (1)
芸能タレント (1)
鉄道 (1)
ゴシップ (2)
廃墟 (1)
建築物 家屋 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

FC2Ad

Template by たけやん