ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

遠軽…… 2011年11月13日

遠軽1

遠軽2

昨日(11月11日)は神保町すずらん堂で作家さんのサイン会があったので出かける。
作家さん編集者さんらと居酒屋での打ち上げの後、新宿「いれーぬ」に参集する人たちに遅れて新宿へ。店は混んでるだろうと思ったので「風紋」に寄る。
聖子ママによれば、先日の日比谷松本楼での45周年記念パーティのことが読売新聞で5日連載の記事になったことで、しばらく「思い出したように」やって来る客で賑わったらしい。その夜は閑散としたものであったが。

私の前に二人の女性がいて札幌から来たと話している。その後から中年男性が来て彼女たちと話していて「ぼくは遠軽(えんがる)」だと言う。
私は稚内だから偶然、その時店にいた客四人全員が北海道出身ということになる。

「そうですか、遠軽ですか」
「そうなんです、遠軽なんですよ」
「……」
「……」

会話が途切れちゃったのは、私の頭のなかで「遠軽」がどこにあったか、急に思い浮かばなかったからである。
(えーと、どこだったかなあ)
まあなんとなく、網走とか北見とか、あっちのほうかなあと思ったことは思ったのだが、同じ北海道人として「遠軽ってどこでしたっけ」と訊くわけにはゆなかないしねえ。

彼らは先に帰り、そのあとゴールデン街からの流れだというカップルがやってきた。中年男は若い頃、斎藤龍鳳と一緒にアパート暮しをしていたという。まあそういう世代やね。……って、私とそう変わらないじゃないか。
それを汐に「いれーぬ」へ向かったのだが、どうも遠軽がひっかかる。

いや、何度もいうように北海道は東北六県+新潟県の広さがあるので、同じ北海道人といっても、離れた土地と土地では同郷意識というのはもてないんである。
北海道は大きく道央、道東、道北、道南の四つに分かれる。と思う。
たとえば道北地方の私が道東地方釧路のマイミクなな★なな氏と会って、故郷について話しても「ふーん」てなもんである。全然土地柄が違うから共通の話題にはならない。

遠軽の場合は、釧路より近いだろうが、私が正確な位置が思い浮かばないぐらいなのだから、情報そのものが無い。たぶん通りすぎたこともないのではないか(通りすぎたことがあれば思い出している。北海道はだいたいクルマで走っているからね)

帰宅してからぐぐってみた。なるほど、あそこか。北見市の東側に隣接している、かなり大きな町。かつては網走支庁管内だったのだが、支庁が消滅して今ではオホーツク総合振興局の管轄になっている。

http://bit.ly/vmCWQn

しかし町のホームページを見ても、農業酪農の町だということしか分からない。これではまた、あの客に会っても話題の接ぎ穂が見つからないではないか。
そういう時は有名人なのだね。

http://bit.ly/rxigYz

町出身の有名人は、いわば郷土の誇りであり共有財産なので、どこの自治体のホームページにも掲載されている(残念なことに私が故郷の町のホームページには私の名は記載されていない。当然だが(^_^;))

それを見ると……

安彦良和
アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。機動戦士ガンダム、宇宙戦艦ヤマトなど多くのアニメーション制作にたずさわり、キャラクター・デザインなどを手がけた。
湖川友謙
アニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。伝説巨神イデオン、聖戦士ダンバイン、さらば宇宙戦艦ヤマトなど多くのアニメーション制作にたずさわり、安彦と同様キャラクターデザインなどを手かげた。
田中雅美
競泳選手。シドニーオリンピック 女子競泳メドレーリレー銅メダリスト。
堀達也
前北海道知事。副知事などを経て、1995年(平成7年)から2003年(平成15年)まで2期8年北海道知事をつとめた。前・札幌大学理事長。
植芝盛平
合気道の創始者。1912年(大正元年)に紀州団体54戸の団体長として白滝地区に入植した。出身は和歌山県田辺市。 丸尾忠
プロボクサー
天野貞雄(旧姓佐藤)
レスリング選手 ミュンヘンオリンピック、モントリオールオリンピック代表。故人。
吉田啓律(通称=サリー吉田)
プロゴルファー
西村優希
野球選手。2007年(平成19年)プロ野球育成選手ドラフト2巡目で読売巨人軍に指名される。



みごとに私と縁のない世界の、名前も知らない人ばかりである……。(;_;)

ただ面白いことに気がついた。どうやら遠軽は日本有数のアニメーター二人を輩出しているらしい。
アニメオタクだったら、この話題はかなり盛り上がるのではないだろうか。私はとんと無知だけど。(;_;)
年齢は二年差でどちらも遠軽高の出身。先輩の安彦のあとを慕って湖川が追ったような感じがするけれど、どちらも遠軽時代は相手の存在など知らず、どこかの事務所で一緒になって初めて知ったという。

あと、遠軽の話題は……。どうひっくり返っても私には難しいねえ。
あの客に二度と会うことのないように。(^_^;)

イイネ!(4) misaki Commander-紫弩 むー 水星騎士(゚-゚)牙魅!
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コメント

なな★なな 2011年11月13日 08:07
遠軽は確か釧網本線で前後が入れ替わる(運転手と車掌が場所交替)する駅と記憶しているのですが、私も町については何も知りません。いや通ったことすらないかもしれません。
ちなみに私、道東出身なのですが、厚床より先つまり根室には行ったことがなく、当然納沙布岬も見てないです(泣)。

ぐらんぴ 2011年11月13日 08:20
アップしてから指摘されて気付いて「昨日」と書いたのは11月11日金曜日のことだったので、訂正しておきます。

>なな★ななさん
いま調べてみたら石北線かな。前は湧網線とか先に延びてた鉄道が廃止になって遠軽で折り返しになったみたいねえ。
>当然納沙布岬も見てないです(泣)。
まあ地元ではよくあることだわねえ。

未婚の父 2011年11月13日 09:02
遠軽といえば、駅の後ろに聳える岩山「瞰望岩(がんぼういわ)」で有名です。
そして、瞰望岩は、その昔、氷河期の終了と人間の狩りに追われる北海道最後のナウマン象を狩るために、狩人が登って獲物を捜したのではないかという説があります。遠軽付近から、旧石器が見つかっています。

>ぐらんぴさん
旭川から遠軽を通ってまっすぐ伸びていたのは、名寄本線(1915-1989)です。

小夏マーマレード 2011年11月13日 09:24
「遠軽」って地名なんですね?


と思った人は、私以外にもきっといらっしゃるに違いない…



遠距離を軽自動車で走る、の略ではないんですよね(笑)


読み方は、



当然「えんかる」ではない…


すみません無知で(^^ゞ

サユリん☆ 2011年11月13日 11:08
遠軽は取材で何度か行きました。
むかしは国鉄職員が多く住む鉄道の町でして、機関区もある「人の字形敷地」の要衝駅だったんですが…
すっかり寂れてしまいました。
遠軽駅販売のカニ飯駅弁はおいしいと評判みたいです。
鉄道好きは「ああ、スイッチバックの遠軽かぁ~」と反応があるかな?

ぐらんぴ 2011年11月13日 16:01
>未婚の父さん
なるほど瞰望岩は名所のようですね。しかし、話の種にどれぐらいなるかなあ。(^_^;)
空撮画像などいくつかありますね。
遠軽から先、海へ出て紋別を通ってゆくのが名寄線でしたか。
湧別から南下して網走へ向かうのが湧網線。とほほ変換もしないや。(;_;)
道北と道央を結ぶ羽幌線や天北線も消えて、北海道は廃線の墓場ですねえ。

>小夏マーマーレードさん
そう「えんがる」です。未婚の父さんが教えてくれた瞰望岩は、アイヌ語で「インカルシ」→「眺めのよい場所」ということから付けられたアイヌ語由来地名です。北海道人なら読めるけれどアイヌ語地名になれていない内地の人には何が何だかという地名は多いです。遠軽の近くでは留辺蕊(るべしべ)とかね。蕊は本来「蘂」。そんなのばっかり。

>サユリん☆さん
なるほどスイッチバック。しかしそれも鉄ちゃん以外の人と話の種にするにはく。苦しい……。(^_^;)

ぐらんぴ 2011年11月13日 16:15
私の生地、稚内から遠軽だと、直線でほぼ200キロメートルは離れている。これじゃあ同郷と言ってもねえ……。ただし同じ道北地域。

未婚の父 2011年11月13日 23:04
>ぐらんぴさん
天北線は、私にとって、思い出深い線です。
浜頓別ユースホステルは、人気の高いユースホステルでした。
浜頓別から天北線で宗谷岬へ日帰りすることもできました。全国版の時刻表では宗谷岬から稚内駅に戻るバスは浜頓別行きの天北線に間に合わないのですが、バスを声問(こえとい)で降りて声問駅で天北線に乗れば、浜頓別に戻れたのです。ユースホステルで知った技です。
冬には、凍ったクッチャロ湖をスキーで渡るツアーなどもありました。
そんな浜頓別ユースホステルも、2004/08/20に閉館しました。

ぐらんぴ 2011年11月14日 06:17
>未婚の父さん(思わず未婚の母さんと書きそうになった(^_^;))
天北線は景色の荒涼さが宗谷本線よりも勝っていて、いかにも北海道北部という感じの路線だったでしょう。宗谷本線の急行が一時、天北線経由になった時期があって、私も何度も浜頓別経由で帰郷したものですが、「よく、こんな荒涼としたところに住む気になったよなあ」としみじみ思ったものです。まあ住めばどこも都なんですけれども。声問(こえとい)は懐かしい地名です。戦後しばらくの間までここには油井がありました。石油を産出していたので、稚内市街からも何本もの採掘櫓が見えていました。
いま稚内は風力発電の町で、石油採掘櫓のかわりに発電用風車が林立しているのです。

なな★なな 2011年11月14日 11:00
失礼しました。石北線です(笑)。釧網本線だと、釧路から網走に行く間にあることになって、この区間なら何十回も乗ってました(笑)。

ぐらんぴ 2011年11月14日 18:17
私も学生時代はユースホステルを利用して旅行したものですが、今はどうなんでしょうねえ。下火になったと聞いて久しいから、今は絶滅しちゃったのかしら。礼文島のユースホステルなんか一時、人気でしたけどねえ。

未婚の父 2011年11月17日 02:55
>ぐらんぴさん
宗谷本線は、長らく、急行4往復が運転されていました。
しかも、「○○何号」ではなく、「宗谷(函館~幌延~稚内)」「礼文(旭川~幌延~稚内)」「天北(札幌~浜頓別~稚内)」「利尻(札幌~幌延~稚内 夜行)」の4つの名前がついていました。「宗谷4急行」と呼ばれていました。
天北線の小石~曲淵間(17.7Km)は、在来線最長駅間として知られていました。これも、沿線人口の少なさゆえのものでした。

ぐらんぴ 2011年11月17日 12:30
>未婚の父さん そうか、では宗谷本線の急行のうち、一本が途中天北線迂回になったんですね。私はたまたま「天北」を利用していたから、宗谷本線の急行は天北線まわりだと誤解してしまったんでしょうねえ。
しかし宗谷本線というのは、乗客もまばらで景色も荒涼。寂しい路線でした。

小夏マーマレード 2011年11月18日 16:50
30年前、鎌倉のを利用しました。


女子6人で泊まりましたが、ユースホステルの会員が2人いて、食堂は、別にされました。料理は、考えられないほど質素で、みんな無言で食べました。後で聞いたら、別室の2人は、さらにおかずが1品少なかったそうです…。それ以来、利用したことはないですね。軽くトラウマです

ぐらんぴ 2011年11月19日 07:57
>小夏マーマーレードさん 鎌倉のユースホステルですか。30年前……。食べざかりの若い人に質素すぎる食事というのはね……。だから人気がなくなっていったのかも。私もそこまでひどいユースホステルは記憶にないですが、うまかった満腹したという記憶もないから、どこも質素だったんでしょうね。
あと、食後に何か会合をやるのが習慣になって、それが好きな人もいれば私のように嫌いな人もいる。私がユースホステル離れしたのは、たぶんこの行事のせいかな。以後、駅前の安い「商人宿」素泊まり専門になりました。
そういえば一時期、国民宿舎というのをけっこう利用しました。安かったですからね。なかにはホテルなみの待遇というところもありましたが、ひどいところは食うものが何もないというところもありましたな。お風呂も一つのを男性女性で時間差利用したりとか。
旅は安くていい旅館ホテルにあたればほとんど成功ですね。(^_^)

未婚の父 2011年11月20日 17:56
>小夏マーマーレードさん
それはひどいYHでしたね。北海道のYHは、いいところがいくつもありました。利用者の口コミ、同人誌に鍛えられたということもあるでしょう。食事も、豪勢とはいかないまでも、地元の食材を使ったものを出してくれたりしました。
最近の若い人達は、YHもなし、夜行列車もなしで、どうやって旅をしているのでしょう。「かわいい子には旅をさせよ」は、今は昔のことなのでしょうか。
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新京成線の急カーブ 2011年10月31日

新京成線急カーブ1

新京成線急カーブ2

首都圏の急カーブ路線としては、新京成線、新津田沼あたりの急カーブが有名だ。(新京成線は、京成津田沼~松戸を結ぶ路線)
曲率半径140メートルぐらいのS字カーブが連続している。
平地で障害物がないのに、なぜ急カーブが連続するのか、事情を知らない人には謎だった。「空襲を避けるため」などという都市伝説も生じた。

これは戦前、津田沼にあった陸軍鉄道連隊の演習線を、戦後、新京成電鉄がそのまま受け継いだもの。
これによって非常な低コストで新線が完成した。

鉄道線路敷設の要諦はカーブ地点のカント(車体を傾ける角度)設計にあるので、まっすぐ敷設したのでは意味がない。いろいろ曲げてみて初めて実地演習になる。
新津田沼駅付近は極端だが、全線にわたって不必要なカーブが多いのがこの線の特徴。

以下に動画がある。電車は案外スピードを落していない。

http://www.youtube.com/watch?v=v29Yv-pcmec

ちなみに、鉄道連隊は平時は民間路線の敷設工事を請負っていて、「西武新宿線・高田馬場の急カーブ」路線も施工している。

この急カーブはさすがにコスト的にもムダだと思えたのだろう、経営陣は前原小と第五中を結ぶ直線ショートカット路線を敷設し、そこに「藤崎台駅」を設置した。しかし国鉄津田沼駅との連絡が悪くなるということで評判が悪く、結局、直線路は廃止されてしまった。藤崎台駅も消滅し路線は痕跡もない。

イイネ!(4) 霞 Commander-紫弩 あみ 麻屋 寿@ロープ沖縄
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コメント

みーや 2011年10月31日 01:56
面白いですね!そんな理由があったのですか!!

動画食いついて見てしまいましたw
電車に乗っているみたいに楽しいですね!!
思わずお気に入りに登録しちゃいました
疲れたときに見ようっと♬

天命卿貴 2011年11月01日 10:34
何年前でしょうか関西で脱線事故を起こした福知山線のカーブよりきつそうですね。

ぐらんぴ 2011年11月01日 20:02
>天命卿貴さん あの尼ケ崎の事故を起こしたカーブは、半径曲率は300メートルで時速70キロが制限速度でした。このカーブは最低139メートルですから、こちらのほうがウンときついです。制限速度は40キロぐらいでしょう。

西武新宿線の急カーブ 2011年10月28日


西武線急カーブ1

西武線急カーブ2

最近、高田馬場から下落合へ行く用が多い。時間に余裕があれば、気晴らしの散歩にちょうどよい距離なのだが、そうでない場合とか猛暑の時期はやはり、西武新宿線の各駅停車に乗る。馬場からひと駅なのでアッという間だ。
これに乗って思うのは、西武線高田馬場駅を出てからの急カーブのすごさ。
駅を出て早稲田通りと神田川をオーバーパスすると、並行していたJR山手線と少し離れるようにして右へ曲がり(あたかもコーナーへ突っ込む車がいったん逆ハンドルをきるような感じ)、それから勾配を下りつつやおら左へ急カーブを曲がり、車体がぐぐっと左へ傾く。「おおッ」と慌てふためくときにトンネルに入るが、これは目白駅へ向かう山手線突堤の下をくぐる(アンダーパス)ためのトンネル。
下り急勾配に加えて急カーブ。曲率半径136メートルというから、電車にしては過酷なカーブである。もちろんスピードは出せないから時速30キロ以下のノロノロ運転だ。
これがもし「遅れてしまった」と焦った運転手が少しでも加速したら、JR西日本宝塚線尼崎駅のような脱線、大惨事になること間違いなしという「殺人的」急カーブなんである。
高田馬場から下落合へ向かう下り線は動力的に問題はないが、問題は逆方向、高田馬場駅に進入しようとする上り線。スピードを落しつつしかも急カーブを越えてぐわあおおと急勾配を上ってゆく。10両編成の電車では運転手は相当な腕が必要とされるのではないだろうか。
近年の高性能の電車では問題はないが、戦前の電車では、ここは難所ちゅうの難所だったらしい。急勾配を上りきれずに電車が立ち往生してしまい、一度バックして助走をつけて勾配を上りきる、なんてこともままあったらしい。
どうしてこんな急カーブが誕生したかというと、西武線の延伸問題や土地収用の問題、省線側、陸軍省側の思惑などいろいろあったようだ。ここでは詳しくは書かないが、興味のある人は調べてみるといいだろう。
いずれにしろ、これは電車しか走らない路線だから設計できたカーブで、蒸気機関車が走ることを考えたら、とてもできるものではなかった。ちなみにこの急カーブ路線が完成したのは、1927年(昭和2年)であった。

(上掲右写真はジオラマです。傾きはちょっと誇張されているかもしれません(^_^;))

イイネ!(6) きた 若にーる Mio わらねこ@笑夢猫 Commander-紫弩 麻屋 寿@ロープ沖縄
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コメント

ぐらんぴ 2011年10月28日 18:02
JR宝塚線の脱線事故では、現場の急カーブの曲率半径は300メートルであった。制限速度は70km。

日立ってゆうか現代 2011年10月28日 18:04
そうそう、尼崎の事故のとき、私も高田馬場の急カーブ思い出しました。

ぐらんぴ2011年 10月28日 18:06
でも数秒の間、モノレールにでも乗っているような感覚が味わえるので、私はこのカーブからの眺めが好きだ。

小町 2011年10月28日 21:44
私もここのカーブ好きでした♪
西武線ユーザーだったので懐かしいです。

そんな昔からあのカーブだったんですね。びっくりしました。

ダリ夫 2011年10月28日 21:53
毎日乗ってるのに、あんまり気にしてませんでした。

KillerLegs_Aki 2011年10月29日 00:31
下落合ってアソコに行くの?

ぐらんぴ 2011年10月29日 07:37
>小町さん そうでしたか、西武新宿線沿線にお住まいで。私は大学が江古田だったので西武池袋線には縁がありましたが新宿線はめったに乗りませんでしたね。池袋線も池袋駅を出たところで山手線をオーバーパスする急カーブがありまして、そこもモノレール感覚でした。急カーブは視界がどんどん変わってゆくので、そこが楽しいのかもしれません。
> KillerLegs_Aki さん そう駅近くのあそこです。食事にね。(^_^;)

帰ってきたももにゃん 2011年10月29日 08:54
西武新宿線沿線にすんで17年になりますが、全く気付きませんでした…f^_^;今度はちゃんと意識してカーブに臨んでみたいと思います。

ぐらんぴ 2011年10月29日 12:58
>棚橋孝子さん、 ダリ夫さんも言ってるように、毎日乗ってる人ほどあまり気がつかないんですね。人に言われて「そういえばあそこはやけにゆっくり走ってるなあ」と思うぐらいで。そんなものです。(^_^;) 脱線事故が起きて初めて気がつくんでしょうが、幸いにもまだ起きていません。

ぐらんぴ 2011年10月29日 15:45
このカーブの存在が意識されないのは、駅のすぐ手前にあるからですね。どのみち入ってくる電車も出てゆく電車も、そう加速できずゆっくりしたスピードになる。だから意識されない。もし新宿駅からノンストップで所沢あたりまでゆく超特急なんてのが出来て、西武高田馬場駅を飛ばすようなことがあったら、このカーブはさすがに意識されるでしょうね。上り下りともにここで急減速しますから。

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官能作家・館淳一。趣味は路上観察、雑学研究からセーラー服ウォッチング、美女装子探しまで、なんでも探索。
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