ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

大使館クイズ 2012年05月28日

サンマリノ大使館

港区は大使館の多い地区だが、私の住いの周辺は特に大使館が集中している。
一番近くにはラオス大使館、ギリシャ大使館、ルーマニア大使館。その次は中国大使館。散歩コースには韓国大使館、フランス大使館、オーストリア大使館、ノルウエー大使館、スペイン大使館……。アメリカ大使館も遠くはないけど、周辺は警官が包囲しているので、なかなか歩きづらい。警備が厳重なのはアメリカ、ロシア、中国、韓国の順かな。
そんな有名国の大使館は高い塀に囲まれてるのが多いけれど、小さな国の大使館は、ごくふつうの一軒家だったりする。
私が好きなのは、この大使館。なんかのどかでのんびりしている。(笑)
さて、これはどこの大使館でしょうか。
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イイネ!(1) 若にーる
ぐらんぴ2012年05月28日 19:28 削除
画像ですぐに特定されないよう、粗くしております。
Commander-紫弩2012年05月28日 22:12 削除
サン・マリノ共和国!
ぐらんぴ2012年05月29日 02:52 削除
>Commander-紫弩さん 正解です。私も今までどこにある国だか知らなかった。(^_^;) イタリアのなかの「世界で五番目に小さい国」なんですね。http://www.azabu-hojinkai.or.jp/topics/vst-emb/emb-s44.html
しのざき2012年05月29日 03:06 削除
サン・マリノは海までの土地を領土としてナポレオンから贈られたけど、断ったのでその後も自然の要塞として独立を守りきったとテレビで見ました
今も執政官を二人選出して政治を行ってるって共和制ローマそのままな国みたいですねー
ぐらんぴ2012年05月29日 09:54 削除
>しのざきさん 3万人ぐらいしかいない、世田谷区より少し広いぐらいの領土ですけど、税金がなくて、暮らしやすいと自慢していますね。どうしてそんなに財政が豊かなんだか。タックスヘイブンなんですかね。
Commander-紫弩2012年05月29日 21:33 削除
世界最古の共和国であり、2006年まではF1グランプリの開催国(サンマリノグランプリ/実際にはイタリアのイーモラ市にあるイモラ・サーキットで行われていた)でしたw

サンマリノのGDPの50%以上は観光収入で、その他に収集家向けの切手やサンマリノ・ユーロがコレクターアイテムとして一定の収入源となっている様です。

また、ぐらんぴさんの仰るとおりにタックスヘブンの国(法人税は定額17%で、それ以外の税金は無し)です(^^
ぐらんぴ>Commander-紫弩さん そういうことであれば、夕張市など完全に財政破綻している地方自治体は国と相談して独立しちゃったほうがよくないですかね。まず独自の切手。タックスヘイブンになって、カジノもできるようにして観光収入を増やす。国は難色を示すでしょうけど、赤字を相殺したら独立をやめて日本に復帰するという条件にする。赤字自治体を税金で養うよりはいいと思うがな~。
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長者丸にて 2012年03月30日

長者丸踏切

先日、恵比寿ガーデンプレイスを尋ねたおり、周辺をブラブラ散歩していたら、やたら豪邸が多い地区に出た。住所としては上大崎二丁目。しかしマンション名には「長者丸●●」というのが多い。
「おお、ここがかの有名な長者丸か」
ちょっとびっくりした。
知る人ぞ知る、長者丸には建築家、土浦亀城(つちうら・かめき)が住んでいた。
アメリカ帰り、ライトの弟子として建築界にぶいぶい言わせていた亀城が自邸を建てて住んだだけに、当時の高級住宅地の最たるものだった。現在の広いお屋敷やマンション群はその名残りである(豪邸の跡にマンションが建った)。
いきなり何の予定もなく長者丸に出てしまったので、土浦邸探索は後日のこととして、山手線の土手沿いに下っていったら、なんと、とんでもないものが目に飛びこんできた。

長者丸踏切

「やや、こんなところに踏切が」

山手線をくぐる、土手を抜ける通路なのだが、その先に踏切がある。
山手線は大塚あたりに一箇所だけ踏切があるが、それ以外は無い。だからこの踏切は埼京線のものだ。もっと言えば旧来の貨物線。こちらは山手線のように頻繁に往復するわけではないので、立体交差とせずに踏切を残しているのだ。私が知るかぎり、品川〜池袋の間、山手線と並行するこの線の踏切は代々木駅の南口近くにあるものだけだ。
しかし、ここにもあったのだねえ。
調べると鉄道ファンにはかなり人気の踏切らしい。

http://chalow.net/2010-07-29-3.html

歩行者専用の踏切なので、車両が入れないように車止めが設けられているが、複雑な形をしている。どちら側からも坂を下って底になるので、乳母車、手押し車などうっかりすると線路に入ってしまう。それを防止するためのものらしい。
「たかが踏切」と思われるかもしれないけれど、私のように麻布に住んで、めったに山手線の外側に出ない人間には、踏切というのは見る機会が少ないのだ。
しかも、まさかこんなところに、というところにひっそりと隠れるようにして存在している。それだけに新鮮な驚きを味わったのである。



イイネ!(9) くまくま('(ェ)') 霞 小夏マーマレード misaki みーや きた ゆずきいくと のぶ翁。 猫神博士
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コメント

のぶ翁。2012年03月30日 08:00
この踏切は、高校時代ずっと見ていました。
目黒から池袋まで通っていたので。
(だから高田馬場のマリリンモンロー&お相撲噴水も同時期に見ています)

泉麻人さんのショートショート(たぶんアンソロジー『中吊り小説』に収録)に、
車窓から見た長者丸踏切のことが出てきますね。

コメント

ぐらんぴ2012年03月31日 05:03
>のぶ翁さん 高田馬場のモンローと力士の噴水、先日もその話題が出て、盛り上がりました。(^_^;) この長者丸踏切は山手線だと上を通過するので、ちょっと気づきにくいですよね。埼京線なら気づくだろうけど。私はたぶん何度もこの上を通過してるのに、まったく気づきませんで驚きました。泉麻人も気づいたんですね。はあー。

ぐらんぴ2012年03月31日 14:45
都内有数の高級住宅街だった長者丸の由来は、このブログに。part3まであります。

http://tokyo.txt-nifty.com/tokyo/2003/09/1.html

面白いのは「目黒駅追い上げ事件」というのがあったことです。山手線を作るにあたって、目黒駅は当初、もっと西側の目黒川沿いの低地に作られる予定でしたが、そこに田を持っていた農家の反対で東側の河岸高地に立てることになりました。追い上げというのは言いえて妙です。
駅というのはわりと低いところに作られる(渋谷のように)のがふつうですが、目黒駅は異常に高い位置に切り通しを作って設置されています。前後の線路の高低差を考えると、無理な高さであることは確か。かつて蒸気機関車の時代は急坂となって難所となったそうですが、そういう由来があったのですね。
この時代、鉄道線路に対する偏見は多く、中央線も甲州街道沿いに走らせようとして土地が得られなかったといいます。
まあ当時の鉄道というのは機関車の排煙がひどく、一種の公害問題でもあったかもしれません。

ぐらんぴ2012年03月31日 14:59
品川、大崎方面から山手線に並走して北上する貨物線(現埼京線)は、目黒駅までは山手線の西側(外側)を走っていますが、この踏切を通過してすぐ、恵比寿駅の手前で山手線をアンダーパスして東側(内側)に廻りこみ、以後、池袋までずっとそちらを走ります。かつては山手線ともう少し間隔があったようですが、最近になって少し東側に移動させられたような気がします。(古い写真と参照して)

未婚の父2012年03月31日 18:37
>ぐらんぴさん
 山手線は、元々、官設鉄道品川駅と日本鉄道赤羽駅を結ぶ、日本鉄道品川線として、1885年(明治18年) 3月1日に開通しました。その主目的は、日本鉄道の貨車を横浜港へ乗り入れさせることといえるでしょう。1885年に、公害問題で鉄道を忌避するというようなことがあったでしょうか。
 そして、品川駅から赤羽駅を目指すなら、目黒駅直前まで目黒川に沿い、目黒駅から恵比寿駅(開通時には無かった)の間で尾根越えして目黒川から渋谷川の川筋に移るのが、最も合理的な線形といえるでしょう。目黒駅を目黒川沿いの低地に作ったら、目的地の赤羽駅が遠くなるし、渋谷川の川筋に移る坂道がきつくなってしまうでしょう。
 「目黒駅追い上げ事件」のような鉄道忌避伝説について研究した本が、「鉄道忌避伝説の謎(青木栄一著)」です。是非ご一読ください。

http://www.amazon.co.jp/dp/464205622X?tag=halfzero-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=464205622X&adid=1RJGF8035847K18RK1WS&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fhalfzero.sakura.ne.jp%2Fbook%2Frhrq.htm
コメント

ぐらんぴ2012年04月01日 04:23
>未婚の父さん すみません、その本の存在は知っていましたが、未読です。この書のなかで「目黒駅追い上げ事件」についてどのように言及されていますでしょうか。簡略で結構ですので、引用していただければ幸いです。

未婚の父2012年04月01日 09:23
>ぐらんぴさん
「鉄道忌避伝説の謎」には、古くは1817年のイギリスの事例に始まる、多数の鉄道建設とその賛否についての事例が掲載されています。しかし、目黒駅の事例はありません。青木氏の収集した事例にはあっても、本にあげる事例には選抜されなかったのでしょう。そういう事例は多数あります。
 甲武鉄道の事例はあります。そこでは、青梅街道・五日市街道に馬車鉄道を敷く計画があったこと、街道上の馬車鉄道への反対運動については記されていますが、甲州街道については計画さえ無い、当然、反対運動も無いとされています。
コメント

ぐらんぴ2012年04月02日 02:38
未婚の父さんから提示された「目黒駅追い上げ事件」は鉄道忌避伝説の一つで、実際はそうではなかったのではというご意見ですが、
いろいろ調べてみると、そうとも言えないのではないか、という気がします。
私の山手線についての知識の多くは『『山手線の東京案内〜鉄道と地図のフォークロア』木本淳、批評社、97/7新訂版)によるところが多いのですが、
木本氏も目黒駅が現在の位置にオープンカットを施して設置されたことに疑問をもち、「追い上げ事件」と明記はしていませんが、地元住民の反対によって当初位置より移動させられたと書いています。
前後に無理な急勾配をとること、難工事になることなどデメリットを考えると、やはり現路線は「なんらかの事情」によって本来想定されていたいたのより変更させられたとみるのが妥当のような気が、私にはします。
『鉄道忌避伝説の謎』によって全国各地にあった鉄道忌避事件が「都市伝説」とされたことのインパクトはすごくて、引用もされていないという「目黒駅追い上げ事件」も検索すると、否定説ばかりですが、どれもある一個の書き込みに影響されているようで、それもまた心もとない気がします(引用部分がみな同じ)。
私は下記のような論もあることで、必ずしも「追い上げ事件など無かった」という論に与することもないかと考えています。「事件」とまで呼ばれたのだからそれなりの忌避の動きはあったのではないかという気がします。それは地元民の間で語り継がれていて、採録されていても資料探査から洩れているのかもしれません。

『http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/08/meguro_oiageups.html

ぐらんぴ2012年04月02日 02:54
つけ加えておきますが、必ずしも青木栄一氏の著書の論を否定するものではありませんで、目黒駅の位置を巡る問題だけに限定してのことですね。そもそも青木氏が言及していないのですから、否定するにしろ肯定するにしろ論拠とはなりえません。

ぐらんぴ2012年04月02日 04:23
facebook のほうで菅谷充さんから「長者丸といえば、仮想戦記を書くものの間では海軍大学校を連想します」とご教示がありました。なるほど、長者丸の南端のほうに、震災で築地の校舎を焼かれた海軍大学校が1932年(昭和7年)に校舎を開きました。ここから幾多の海軍将星が輩出しています。
戦後、跡地は国立伝染病研究所、関東財務局目黒支局、日映新社目黒撮影所などに利用されていましたが、1999年にすべての建物がとり壊されUR集合住宅(かつての公団住宅)が建てられました。海軍大学校を思わせる何かが残っているのかどうか。

不忍池のカモ 2012年03月09日

不忍池のカモ1

不忍池のカモ2



閉じこもってばかりの毎日、たまには散歩でもと湯島天神で梅を見、上野へ出て不忍池をぐるりと回ってみました。
梅は咲いていましたが、桜はやはりまだまだですね。今年はちょうど入学式ぐらいに咲きそうな気がします。

不忍池は、4分の3ぐらいの池面は枯れ蓮で覆われていましたが、それが格好のねぐらになるんでしょうか、いろいろな野鳥がいました。海のほうからはユリカモメも飛んできてます。
そのなかで目立つのが、黒と白のきれいなツートンカラー、ちょっと小型のカモでした。カルガモよりもひと回り小さい。けっこうな数が遊弋しています。
白と黒だから便宜上、その場では「パンダガモ」と命名したのですが、これは実は、

キンクロハジロ(金黒羽白)

と教えてもらいました。カモ科ハジロ属。
シベリアから越冬のために飛来した渡り鳥なんですね。冬だけ見られる。
なんで「金」なんて字がつくのかと思ったら、目(虹彩)が黄色。金色に見えるんです。全体は黒いんですが羽根が白い。それで金黒羽白。ただしツートンカラーがハッキリしているのはオスで、メスは茶褐色が強く、羽根を広げないと白い羽毛が見えません。
オスの頭の後からは冠毛というのがポニーテールみたいに伸びてます。メスはこれが短く目立ちません。

二枚目はネットで拾ってきた、黄色の目が大きく写ってる画像。ポニーテール状の冠毛も分りますね。

潜水して貝類をとるというのですが、不忍池では潜水してる姿は見られませんでしたね。

ブラタモリを見てたら、タモリが「老人になると花鳥風月の順に関心を抱くようになる」と言ってましたね。私もとうとう老境の……(以下略)

イイネ!(5) misaki  霞  小夏マーマレード  Commander-紫弩  かおる姫
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コメント

ぐらんぴ 2012年03月10日 14:10
野鳥はそこそこ緑があればやってきますが、水鳥はある程度の広い水面とエサ場が無いと見られません。都心だとお堀か不忍池。あとは洗足池や井の頭池など、ところどころの広い池ということになりますかね。私のところだとお堀がせいぜい。皆さんはどこで水鳥を見られますか。

ぐらんぴ 2012年03月10日 14:37
私が学生時代は、まだ西新宿の副都心が出来てませんで、広大な淀橋浄水場がありました。巨大なプールが何面もあって広い池の集合体。当時は渋谷区本町に住んでいたので新宿から歩いて30分ほど。飲んですっからかんになった明け方、浄水場のなかを近道して抜けてゆくと(本当はダメなんですが、もう無人で廃墟に近かった)冬のころは池に水鳥の群れがたゆたっておりましたなあ。その頃は水鳥などとんと興趣を覚えたことはありませんでした。まこと「花鳥風月」は老……(以下略)

霞 2012年03月11日 10:27
家から歩いて3分のところに、「目白の森」という小さな小さな森があります。毎日の散歩コースです。季節の移り変わりは、もっぱらその森で。
小さな池がありますので、ザリガニとか季節には、オタマジャクシその他。
一度、カルガモが飛来? してきてうろうろしていましたが、お相手が現れないので、いなくなってしまった! 残念。
サクラも遅いですが、いつかは咲くでしょう(笑)
コメント

ぐらんぴ 2012年03月11日 14:59
>霞さま そうですか目白の森。目白通りの北側になるのですね。私はおとめ山公園あたりまでですかね。2,3度訪ねたことがあります。あそこもそんなに広い池はないですね。その近くにある野鳥の森公園とか、目白かいわいは緑の多い公園が散財してますね。
そうそう神田川はけっこう水鳥が飛来しています。

変わる渋谷駅東口 2012年01月23日 01:57

渋谷駅東口

渋谷駅地図

渋谷東口広場マップ

渋谷の東急東横店、つまり渋谷駅の真上に建ってるデパートの東館が消えるそうだ。

http://www.shibukei.com/headline/photo/8251/

東横線が副都心線と連結され、従来の渋谷始発プラットフォームと駅舎が消え、すべてが地下に潜る。
そうなると東口広場はグンと拡大されて、ひろびろとなるね。

この広場を挟んでJRや東横駅から陸橋で連絡されていた、かつての東急文化会館の跡地には『ヒカリエ』という高層ビルが建つ。
今は工事でてんやわんやだが、東急駅上屋の撤去、東館の解体などで、東口はまだまだその状態が続きそうだ。

さらに興味ある記述がシブヤ新聞の記事にある。

「渋谷川のつけ替え」

ずっと悩まされてきたこの問題に、東急はとうとう決着をつける気になったらしい。

渋谷川の存在は、最近の人は気がつかないかもしれない。
宮下公園のほうから恵比寿のほうへJR線路沿いに流れている川が渋谷川。源流は新宿御苑の湧水。これ「ブラタモリ」でやったから覚えている人がいるかも。
上流はかの「春の小川」の流れと合流している。
駅近くは暗渠とされているから、通行人の目には触れないが、駅の南、下流方向で246をくぐって姿を現し、現東横線堰堤に沿って南下し、やがて古川となって東京湾へ注ぐ。

掲げた地図でみると渋谷駅北側「ビッグカメラ」の「ビ」の文字のあたり。そこを渋谷側が流れていた。今は細長い公園と自転車置き場になっている。

渋谷駅から地下鉄副都心線の駅へ下るのに、妙にうねうね曲がって不自由な感じがするのは、東口広場地下を抜けている暗渠を避けるための工夫なんである。半蔵門線への地下通路がJR線の東と西で分断されているのもそう。東横店東館に地下が無いのは、この渋谷川があるせいで作れなかったからだ。

JRや地下鉄や東急にとっては、目の上のたんこぶならぬ、足の下のウオノメみたいに厄介なものであり続けた。
しかし、こいつをどうやってつけ替えるというのであろうか。
迂回させるというのは大工事だ。地下建造物がいっぱいある。一段低くして、もっと下流まで暗渠にしてしまうということだろうか。

渋谷駅周辺は私が学生時代から徘徊していたゾーンであり、今も高田馬場の事務所に通うための中継地点である。ここで都営新橋行き01番バスと乗り換える。
東館の上に昇ったことはめったにないが(ファッション系が多いので)一階の「東横のれん街」はよく利用する。それが来年には消えてしまうというのは、東急文化会館の消滅以来の衝撃的な出来事だ。
私の青春時代から刻まれてきた渋谷駅の光景は、ここにきてガラリと変わってしまったし、まだまだ変わってゆく。

(画像上は東横店東館。横っ腹に潜り込んでゆくのが東京メトロ銀座線。左手が撤去される東横線ホーム駅舎)

イイネ!(1) 水星騎士(゚-゚)牙魅!
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コメント

ぐらんぴ 2012年01月23日 05:12
地図の左上、渋谷西武A館とB館の間の道(井の頭通り)を宇田川が下ってきて、JRの線路をくぐって北から流れてきた渋谷川と合流します。
地下にあるこの川のおかげで、西武A館とB館が地下でつながっていないのです。この件に関しては、多くのブログが伝えています。

のぶ(nob) 2012年01月23日 07:01
副都心線乗り入れは聞いていたけど、東横をやめちゃうとは。確かにぱっとしないけど、ぼくも地下はよく利用していました。何かの駅ビルになるのかな。ルミネとか色々あるけど、東急系はなんだろう。
コメント

ぐらんぴ 2012年01月23日 07:46
>のぶ(nob)さん いや、東横全部やめちゃうんでなくて、東館だけをとっぱらうという話です。そのあと何にするか分かりませんが。
したがってメインの南館に西館は残ります。地下の食品売り場も残るということですね。

ぐらんぴ 2012年01月23日 07:49
東急文化会館あとの『ヒカリエ』は4月26日にオープンだそうですね。あそこは2004年ぐらいに閉鎖され、しばらくして撤去され、それからずっと何もされなかったですが『ヒカリエ』構想に着手されてから早かったですね。それでも8年ぐらい空白があった。壊されたのはついこないだのような気がするんですが。

ぐらんぴ 2012年01月23日 08:08
東急文化会館がクローズされたのは、2003年6月30日でした。空白は9年ということですか。

サユリん☆ 2012年01月23日 13:36
東横店は渋谷川の上に建つ珍しいデパートって聞いたことあります。そういえば、センター街は元々川でしたよね。(宇田川?)
西武デパートから山手線築堤を見ると、楕円形人道トンネルが見えますが、あれは川のために作られたものなのかな?
構造的に人道用としては狭いし、何より楕円形で作る必要がないし…
コメント

ぐらんぴ 2012年01月23日 16:16
>サユリん☆さん
いまのセンター街駅よりは確か宇田川の分岐水流のようです。
西武デパートから見えるのは宇田川が渋谷川に合流するための川が流れているからですね。暗渠にしたから人道になりました(タクシーなら通れる)。

http://www.miwachiri.com/tokyo/0303_seibudpt.html

また、東急東横店東館地下の「渋谷川」についてはこちらに。
http://www.miwachiri.com/tokyo/0305_tokyudt.html

のぶ(nob) 2012年01月23日 17:33
東急文化会館の空白、ぼくも「ついこの間」からだと思っていたのでびっくりしました。
なんといってもプラネタリウム、あと、地味な三省堂がありました。
東横からロープウェイが走っていたことがあるそうですね。もはら、殆ど記録がないらしいけど。
コメント

ぐらんぴ 2012年01月23日 18:00
東急文化会館、懐かしいですね。一階に『ユーハイム』、二階に文化特選街というショッピングモール。それから床屋さんが三階かにあった。長嶋茂雄が来るという店。東急系映画館がいっぱい。『素晴らしきヒコーキ野郎』とか、ここで見たなあ。もちろんプラネタリウムも入ったし、三省堂書店で本も買った。書店を出たところの喫茶室で待ち合わせ。電機屋もあったような……。あと資生堂の美容室。地下にはスーパーみたいなの(末期)。

ぐらんぴ 2012年01月23日 19:03
ロープウェイ。
1951年から52年まで2年たらずで営業停止になったようです。しかも子供専用で大人は乗れなかったとか。それじゃ私の記憶にもないわけだ。どうして東急が記録をとってなかったのか、不思議ですね。

くまくま('(ェ)') 2012年01月24日 03:29
何やら心ときめく地名がと思ってやって来てしまいました(^.^)東急文化会館というとジャーマンベーカリーですかね。それと葛籠折りのようなエスカレーター。それぞれの階ごとの踊り場?でいろんな事件やら場面やらに遭遇しました。それから亡き父が鳩居堂によく筆やら紙やらを注文していて、散歩がてら受け取りに行っては立田野やフルーツパーラー西村でお茶をしてましたっけ。

オンジョウ理容室 2012年01月19日 05:06

オンジョウ理容室


つぶやきのほうで一件落着を報告しておいたけれど、一応、成果をこちらにも。
高田馬場近く、神田川を北へ越えたところにある理容室。(画像に映っているように、住所は豊島区高田3丁目)

『オンジョウ理容室』

私がレバニラ炒めを食べに通う中華料理「和」の近くなので、よく通るところ。
見るたび、「どういう漢字なのかなあ」と考えていた。店に入って訊こうかと考えたこともあった。ただ訊くためには戸を開けなきゃいけないからね、なかなか出来なかった。
表札のようなものがあればいいんだけど、いくら探してもない。
そんなこんなで10年(およそ)の歳月が流れた。
twitter で質問してみたら、いろいろな回答が寄せられた。
「園城」あるいは「遠城」というのが多かった。
「園城寺」とは三井寺の本名。「おんじょうじ」という。
「恩庄」という人を知ってるという人も。
こうなったら、確かめてやるぞと検索しまくった。
ヒットしたのがこれ。

http://www.tokyo-kankyo.or.jp/?cat=4&paged=69

経営者の名前が分かりました。

園城(おんじょう)紀一さん

コンジョウでオンジョウを突き止めたというお話。
私は「穏庄」とか「恩匠」がいいなあ、と思ったんですけどね。(^_^;)

イイネ!(4) きた 霞 のぶ翁。 麻屋 寿@ロープ沖縄
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コメント

狐 2012年01月19日 12:48
真っ先に連想したのが「温情」で、さぞかし親身なサービスをしてくれる床屋さんなのだろうなあと ( ´・ω・`) 勘違いから妄想へのいつものパターン
コメント

ぐらんぴ 2012年01月22日 05:25
この疑問、お店の人に訊けば一発で分かるんだけど、ガラガラと戸を開けて「すみませんが、どういう字を……」とはなかなか訊けないよね。それも理髪ちゅうだったりすると。
facebook で友達のJさんは、今は諏訪のほうの山のなかに住んでいるのだが、30年ぐらい前この近くに住んでいて、さかんに一帯のことを懐かしがっていた。ただしこの床屋のことは知らなかったという。
「どうなっているか知りたい」というので「ストリートビューで見られますよ」と教えてあげたが、見られただろうか。
私もね、この近くに2002年から2009年まで事務所があったから、けっこう懐かしくて、時々巡回してみてるのだ。「ありゃ、前の事務所、空き部屋になってる」とかね。

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官能作家・館淳一。趣味は路上観察、雑学研究からセーラー服ウォッチング、美女装子探しまで、なんでも探索。
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