ぐらんぴ日記

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オバマのビンラディン殺しは何だったのか 2011年05月08日

オバマは自らの手を血で汚してビンラディンを殺すことで、「残りの半分のアメリカ」と和解したのです。人々は、そこに左右対立からの前進、人種間対立の消滅を見て、その感慨が興奮や賞賛を支えているのだと思うのです。

冷泉彰彦氏のメルマガ『from 911/USAレポート』第513回
「オバマのグラウンドゼロ献花とは何だったのか?」

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コメント

ぐらんぴ2011年05月08日 07:05
どうもメルマガ登録なんて面倒くさいという人のために、全文転載しておきます。ただし引用なしに外部に転載しないでくださいね。
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(1)
 ■ 『from 911/USAレポート』               第513回


「オバマのグラウンドゼロ献花とは何だったのか?」

 5月5日(木)の午後1時過ぎ、オバマ大統領はニューヨークのダウンタウンにある、世界貿易センタービル跡地「グラウンドゼロ」に歩みを進め、911のテロ被災者の遺族や、多くの犠牲を出したNYの警察・消防関係者などを慰問しつつ、大きな花環を捧げ、献花の儀式を行いました。これに先立つ、警察や消防への訪問を含めてセレモニーは静かに当初予定のスケジュールで行われ、大統領はNYを後にしました。

 この後、大統領は、一旦ワシントンDCに引き上げましたが、翌日の金曜日には、ビンラディン殺害作戦を「成功」させたSEAL(シール)と呼ばれる海軍特殊部隊の隊員の一部と面会するためにケンタッキー州へ移動する予定です。

 この花環ですが、一体何のための花環なのでしょうか?

 その意味合いを考える以前に、何とも不思議な花環でした。大きな環に白、赤、青の三色のカーネーションが厚めに飾られた花環は確かに立派でした。ですが、その色合いの意味は良く分かりません。この三色は「合衆国星条旗」の三色にも見えます。
そうであれば、対テロ戦争の「勝利」あるいは「国威発揚」の色ということ、あるいは「挙国一致」を意味しているということになると思います。日本では紅白の幕をめぐらすような「慶事」に際して供されるリボンや花の彩りもアメリカではこれと同じ三色だからです。

 もうひとつの考えは、あくまで追悼の花ということです。3000人を超える人がこの地で亡くなったことを踏まえて、犠牲者の追悼として献花する、その追悼の色が白であり、ただ没後10年になろうという時間を考えると、完全な服喪ではなく何らかの色合いを添えることは不自然ではないので赤と青を追加したという考え方ができます。それ以前に、アメリカでは追悼の献花は「絶対に白」とは決まっていないので、自然だとも言えます。

 けれども、人々の心理の奥底には様々な感慨があるように思います。例えば、保守系のタブロイド紙『ニューヨーク・ポスト』が5日の一面見出しに掲げた "BITTERSWEET. Prez to lay wreath at Ground Zero. Then we can celebrate bin Ladin's death." (「何というほろ苦さ、大統領がグラウンドゼロに献花することで、我々はビンラディンの死を祝うことができるというわけだ」)という何とも複雑なメッセージがいい例です。

 もっとも、この「ほろ苦さ (bittersweet)」という言葉は、前日にホワイトハウスのカーニー報道官が「大統領のグラウンドゼロ献花というのは、ほろ苦い行事になる」という言葉を受けて言っているところもあり、ポスト紙のオリジナルではないのですが、カーニー氏の意図にしても、ポスト紙の表現にしても「何がほろ苦い」のかは明確ではありません。

 ホワイトハウスからは「遺族を前にして、政治的なスピーチを高らかに歌い上げるのは相応しくない」ということ、その大統領と遺族との会話も個人的なものであり、音声をテレビで報道したりするものではない、というような「特別な配慮」をすることが発表されています。カーニー報道官は、そのこと自体を「ほろ苦い」と表現している、表面的にはそうでした。

 ですが、そこにはやはり「復讐のために一人の人間を殺害して、そのことを祝う」ということにたいして、万人が抱く「躊躇」があるように思うのです。オバマはそのことを十分に理解するがゆえに、グラウンドゼロではスピーチをしなかったし、殺害を発表した会見、翌日の夕食会の席での短いスピーチなどでも厳しい表情で「ポーカーフェース」を貫いていたのだと思います。

ぐらんぴ2011年05月08日 07:06
(2) ですが、それでも疑問は残ります。あの花環は何だったのでしょうか? 仇敵を倒したと、まるで忠臣蔵のように911の犠牲者の霊に報告するためだったのでしょうか? そしてもう一つ、あの発表直後から起こった若者を中心とする熱狂は何だったのでしょうか? この熱狂に関しては、今週初頭にこの欄の臨時号で様々な理由を考えてお話ししていますが、改めてその奥にある心理とは何なのでしょう?

 オバマ大統領が「ビンラディン殺害」を発表したのは、5月1日の日曜日の東部時間深夜でした。発表の前後からワシントンDCのホワイトハウス周辺には、多くの若者が集まって星条旗を振ったり気勢を上げるといった行動に出ていました。また、ニューヨークのグラウンドゼロでも、千人程度の人が集まって、中には道路標識によじ登って星条旗を振るなど派手な行動がTVに映っていました。グラウンドゼロの人出は、そのまま朝まで続き、翌日の2日の午前中からお昼にかけても群衆が「USA!USA!」と連呼したりしていたようです。

 また翌日になって、CNNが公開していたのですが、若者の熱狂ということでは大学のキャンパスでの「盛り上がり」もなかなかのものだったようです。発表当日深夜には、ペンシルベニア州立大学のメインキャンパス、マサチューセッツ大学アマースト校、オハイオ州立大学などでも学生が騒いでいたようですし、マンハッタンのグラウンドゼロに繰り出した若者の多くは、近所のNYU(ニューヨーク大学)の学生
だったようですし、ワシントンの場合もそうです。

 彼等はどうして、あそこまで熱狂していたのでしょうか? オバマのファンだから、対立を忘れて挙国一致になれるから・・・それだけではないと思うのです。報道の中には「今の大学生は小学生だった2001年以来ずっと「テロの影」に怯えて生きてきた」という解説もありました。「空港や駅の厳重な警備、何かにつけて身分証明書を提示しないといけない不便、そうした影からの解放感があるのでは」とその記事は
説明していましたが、これも釈然としない解説です。

 そんな中、私の印象に残ったのは、例えばラッシュ・リンボーのコメントです。リンボーというのは、保守派のラジオDJであり、いわゆる草の根保守に絶大な人気を誇る一方で、オバマに取っては宿敵とも言うべき存在でした。その毒舌はかなり極端
で「オバマは社会主義者」であるとか「オバマはアメリカ人ではない」などという全否定を大統領に対して浴びせてきたのです。ちなみに、環境保護政策についても批判的で、今回の東日本大震災に対しても「環境保護に熱心な日本が天罰を食らったのは皮肉だ」というような言い方で切り捨てるなど、相手への配慮などお構いなしの「アジテーター」と言って良いでしょう。

 そのリンボーが今回の作戦についてオバマを褒めたのです。しかも、その褒め方が尋常ではありませんでした。「軍のお歴々が考えることは分かっている。いつでも空爆だ。ミサイルをぶち込んだりして全部破壊してしまうんだ。だが、オバマ大統領はただ一人、特殊部隊を地上に下ろしたんだ。この判断は大統領一人だけが下したんだ。軍のアドバイザーやCIAのアドバイザーに従ったんじゃない。大統領だけが下した
判断だ。軍は全部爆破してしまう。だが大統領一人だけはどうしてもビンラディンのDNAを要求した。彼だけが証拠が必要だと理解していたんだ・・・」

 とにかくリンボーがオバマを褒めるというのは、アメリカでは太陽が西から昇るぐらい大変なことなのですが、加えてその褒め方が尋常でなかったので、これは話題になりました。私には、ほんの少し「血に汚れた部分をオバマに押し付ける」感覚が感じられましたが、それはあくまで深読みが過ぎるというもので、とにかく一方的な賞賛と言っていいと思います。

 恐らく、このリンボーの反応がヒントなのだと思います。オバマは自らの手を血で汚してビンラディンを殺すことで、「残りの半分のアメリカ」と和解したのです。人々は、そこに左右対立からの前進、人種間対立の消滅を見て、その感慨が興奮や賞賛を支えているのだと思うのです。

 例えば、オバマは2007年から2008年にかけて大統領選を戦う中で、ブッシュの政策を激しく攻撃していました。その中で、例えば911やアフガンの関係で拘束した容疑者に対して、グアンタナモ基地に収容したり、軍事裁判の対象とするといったブッシュの姿勢については、自分が大統領になったら廃止する、そう公約しています。

ぐらんぴ2011年05月08日 07:07
(3) ですが、実際は大統領就任後に「グアンタナモ収容所廃止」や「テロ容疑者をニューヨークへ護送して一般の刑事法廷で裁く」といった政策を実行に移すのには失敗しています。ホルダー司法長官は何度も試みたのですが、そのたびに保守派から「容疑者護送は奪還テロを招くだけ」と批判され、例えばサラ・ペイリンなどからは「自分たちが命がけで守っている合衆国憲法で認められた権利(黙秘権や弁護士選任)は絶対にテロリストに認めてはならない」などと言われてきたのです。

 様々な経緯の結果、頼みの綱だったニューヨークのブルームバーク市長までが「断念」というか「反対」に回ってしまったために、一般法廷への護送は失敗し、その結果として自動的に収容所の廃止も断念させられているのです。一連の動きに関して、それこそリンボーやペイリンからは「非国民」呼ばわりされ、その怨念が「オバマは
イスラム教徒」であるとか「オバマはアメリカ生まれでないので大統領になれない」などといったデマ攻撃として、大統領を苦しめたのでした。

 今回、そうした過去との連続性を断ち切るかのように「自分が泥をかぶって」ビンラディンに対して危険な作戦を実施して仕留めたという事実は、保守派に取っては「大統領がやっと俺達の仲間になった」あるいは「オバマはやっと俺達の大統領になった」という感覚があるのだと思います。これまで「オバマ」と呼び捨てにしたり、「バラク・フセイン・オバマ」と嫌味ったらしくミドルネームを強調して大統領を非難していたリンボーが、今回は「プレジデント・オバマ」と何度も繰り返した、これはそういうことだと思います。

 献花についても同じことです。他でもないリベラルでインテリのオバマ、ブッシュの軍事外交に反対して当選したオバマが、他でもないオサマ・ビンラディンを殺害して、その報告という意味合いを込めてマンハッタンを訪れた、これは911を直接経験した警察・消防や遺族に取っては理屈抜きに感慨があるのです。

 オバマは、911の日に特に多くの犠牲を出した「エンジン54」というニューヨ
ーク消防局の分署を訪問し、「あの日」に仲間を失った消防士たちと懇談しながら「ナスのグラタンとピザ」のランチを一緒に楽しんだのだそうです。大統領との懇談後に取材に応じた消防士たちは、異様に興奮しながらそれがいかに大変な経験だったかを語っていました。「ホワイトハウス特製の飯でも食えるかと思ったら、そうじゃなくてこっちが用意したんです。でも大統領は嬉しそうに食べてくれましたよ・・・」
まるでオバマが「聖人」かのような興奮ぶりでした。

 学生たちの熱狂も同じようなものがあると思います。保守派の学生にとっては「カッコいいとは思っていたが所詮は典型的なリベラル政治家と思っていたオバマが、自分たちの仲間になった」という感覚でしょうし、リベラルの学生にとっても「自分たちの推したオバマが国論分裂の元凶ということになると、当初の期待が裏切られた感じ」だったのが「善を保ちつつ悪も背負って国内に和解をもたらした」ということなのだと思います。

 多分、後者の感覚、つまり「善悪二元論」ではなく「善でありながら悪を背負う」二重性なり、度量や覚悟の姿勢がカッコいいということなのでしょう。20歳前後の若い世代の熱狂というのはそういうことだと思います。

 花環の意味合い、そして熱狂といった現象の背景にある「心理」はそんなところだと思います。一つ指摘しておきたいのは、この「挙国一致ムード」が例えば言論を封殺する性格のものではないということです。オバマのグラウンドゼロ献花の前後から、「ビンラディンの遺体を公開するかどうか」の論争、あるいは「ビンラディンが無抵抗だった疑惑」そして「パキスタンの主権侵害の懸念」など色々なことが言われてい
ます。国際法に関する問題点の指摘も始まっています。

ぐらんぴ2011年05月08日 07:09
(4) 例えばビンラディンの所在を突き止めるに至った諜報の一部は「グアンタナモでの尋問」で得られたとか「水責めの拷問」の効果だという声もあり、改めて収容所を存続させることの是非、あるいはブッシュ時代以来の拷問の正当化など、国論を割りそうな論争も始まっています。ですが、そこには以前のような陰湿なイデオロギー激突という趣は消えており、かなり実務的で冷静な議論になってきているように思われます。

 民主党系の重鎮政治評論家である、キャンディ・クロエ女史が言っていたのは、「ビンラディン殺害」というのは「closure(決着)」ではないだろうけれども、「clarity(明確化、スッキリ感)」なのだというのです。一つ何かが明確になり、一歩先へ進めるという意味合いで言っているのだと思います。そのことは、賛否両論が自由に出てきたことと関係があるようにも思えます。

 以上がアメリカの「国内の論理」です。
 ですが、国際的に見れば問題だらけの「殺害劇」だということは間違いありません。

 米国の殺害の根拠は、戦時国際法によって「殺しのライセンス」を得ているという論法ですが、一方的な解釈であることは間違いありません。何よりも、国家でない個人との紛争に戦時国際法が適用できるかは議論の分かれるところです。その正当性を審理できるのは、現在の国際法の枠組からすると、ジュネーブにある「国際刑事裁判所(ICC)」になります。このICCでは、ビンラディンのテロや、米特殊部隊の「殺害行為」のような「国際犯罪」については、現在110カ国以上が加入している「ローマ規程」に基づいて裁くことになっています。

 ところがアメリカはこのローマ規程に署名・批准していないばかりか、ローマ規程
やICCを「敵視」してきました。オバマ政権になって多少軟化しているものの、以前はICCで米国民を起訴しようとした国には「断交と経済制裁を加える」という脅しを加えていたのです。現在も、その極端な姿勢を緩めただけで、アメリカ自身が加入する可能性はほとんどゼロということは変わらないのです。

 アメリカが反対している最大の理由は、米軍の軍規に基づく米兵の行動をICCに断罪されるのは絶対に許さないという「国家意思」です。今回のケースは正にこれに該当します。従って、いかなる形であれ、米国が加入することによって、今回の件についてローマ規程により起訴がされることは現実的にはあり得ません。

 もう一つの国際法の枠組は、オランダのハーグにある国際司法裁判所ですが、これは国連加盟国同士の紛争調停機構であり、今回のケースはパキスタン政府がアメリカ政府を「主権侵害行為」として提訴することになります。ですが、アメリカはパキスタンがそのような行動に訴えれば、援助の打ち切りと敵国扱いをしてくるでしょう。
敵国扱いというのは、核の放棄を軍事行動も辞さない姿勢で迫ってくるという意味です。ですから、パキスタンとしては実質的には不可能だと思います。

 従って、今回の「殺害」に関してはアメリカの行動に国際法上の疑念があるとは言え、ICCもハーグの国際司法裁判所も手出しはできないのです。ただ、国際社会という観点から見れば、ブッシュの一国主義が国際法の秩序を乱してきたように、オバマもその延長で国際法の秩序撹乱を行ったという事実は曲げられないと思います。

 その意味で、オバマは「人類に普遍の原理原則の守護者」であることから降りてしまったわけです。では、このままオバマは「ダークサイド」に行ってしまうのでしょうか? 例えば核廃絶の長期的な理念へ改めて戻って国際的なリーダーシップを発揮するとか、その理念に沿う形での「ヒロシマ献花」を実現するという可能性は消えたのでしょうか?

 私は全く消えたとは思いません。ただ、そうした路線回帰というのは、景気の回復と財政赤字削減について成果を出し、アラブの民主化運動を一定の前進の中で沈静化させるという「直近の政治課題」を乗り切って、2012年に再選されたその先に見えてくるのだと思います。それまでは「ダークな一国主義」にやや寄りながら国内の和解を演出し続ける、そのように見るのがまず常識的ではないかと思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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カダフィを守る女たち 2011年02月27日13:31

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今や風雲急を告げるリビア情勢。最高指導者、カダフィ大佐の命運は尽きるか、それとも天安門事件の再現なって生き延びるか。
鍵を握るのは、
アマゾニアン・ガード Amazonian Guard
の忠誠心がどこまで保つかである。
猜疑心の強い独裁者カダフィは、身辺の護衛から男性を外し、女性のエリート護衛部隊で固めた。それが「伝説の」アマゾニアン・ガード。世界中の「強い女ファン」(私もその一人(^_^;))から熱い視線を注がれている。
格闘技、射撃術から最先端兵器の扱いまでを訓練された、世界最強の女性兵士たちである。
全員が「処女の誓い」を立てている、と言われている。

カダフィは官邸のようなところに暮らすのを好まず、砂漠でテントを張って暮らすことが多い。その時の警備護衛はすべてアマゾニアン・ガードがやる。
今もカダフィはトリポリを出て砂漠に身を隠していると思われるが、追いつめられた時、アマゾニアン・ガードはどこまでカダフィを守るか。われわれファンはかたずを呑んで見守っているのである。(かなり不謹慎)。

「銃をもった女」コミュにも画像アップ。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=296707&comm_id=69533


コメント
イイネ!(8) きた 霞 AOY 鈴木輝一郎 Y嬢 寿@麻屋ロープ沖縄 冴月さくら KillerLegs_Aki
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コメント

ぐらんぴ2011年02月27日 13:38
「どうしてアマゾニアンなんだ。アマゾネス・ガードではないのか」と言う人がいるやもしれぬ。実は「Amazon」はそれだけで「女戦士」という女性名詞なんである。それを女性形にしたAmazonessというのは日本語でいえば「女性おんな戦士」というみたいな重複語になる。もちろん日本独自の誤用であり、amazonessという語は欧米には存在しない(フランス語には複数形としてあるけれどね)

ぐらんぴ2011年02月27日 14:08
しかし「男の親衛隊は信じられないが、女なら信じられる」という考えかたは、どこから出てくるんだろうか。「女のほうがよっぽど危ないんじゃないか」と考える者もいよう。

ぐらんぴ2011年02月27日 14:09
私なら女装兵士だけで固めるな。オトコノコ・ガード。うん。

ぐらんぴ2011年02月27日 14:21
伝統的な衣装を強制するイスラム教の国だけど、カダフィはアマゾニアン・ガードには洋装(ハイヒールをふくむ)も髪を露出することも許している。海外要人との席に同席させるためだろうが、どうもよく分からない扱いである。

Commander-紫弩2011年02月27日 14:24
>しかし「男の親衛隊は信じられないが、女なら信じられる」という考えかたは、どこから出てくるんだろうか。

男尊女卑であるムスリムの社会体制内で女性が高く評価される事はステータスである為に、親衛隊に選ばれた女性兵士達はより強い忠誠をカダフィに誓っているのだといわれていますね。

ぐらんぴ2011年02月27日 14:26
> Commander-紫弩 さん
なるほど、一理ありますね。

狐2011年02月27日 15:07
語義通りに解釈すると「仮面ライダー アマゾン」は女性じゃないといけないわけですなあ ( ´・ω・`) まあ、これは地名なのですが

ぐらんぴ2011年02月27日 17:21
アマゾネス問題は一度日記に書いてます。
「アマゾネスをめぐる誤解」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=777087200&owner_id=170858
http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-entry-999.html

フランス語でも、たぶん発音はアマゾーンでしょう。

オバマを囲む人々 2011年02月19日07:28

オバマを囲む人々

ホワイトハウスが公開している画像だそうです。
ざっくばらんな会食(おそらく昼食会)の席ですね。
オバマ大統領のこちら側、黒いシャツの男性がAppleCEOのスティーブ・ジョブズ、向こう隣の男性がフェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ、真正面がオラクルCEOのラリー・エリソンです。
(注:ラリーについては、かつて日記に書いています)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1477276056&owner_id=170858
http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-entry-135.html

オバマのシリコンバレー人脈結集というところでしょうか。他に顔が分かる人はいますか?

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コメント

ぐらんぴ2011年02月19日 10:22
なんと、一昨日のことだったのですね。
だとすると、ジョブズは退院してるのかしら? それとも病院からかけつけた?
以下、関係記事より。
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ホワイトハウスが、昨晩(米国時間2/17)行われたオバマ大統領とシリコンバレーのCEOやリーダーたちとの夕食会の写真を公開した。写真からもお分かりのように、きら星のごとき招待客の中には、FacebookのCEO Mark Zuckerberg、AppleのCEO Steve Jobs、YahooのCEO Carol Bartz、CiscoのCEO John Chambers、TwitterのCEO Dick Costolo、OracleのCEO Larry Ellison、NetflixのCEO Reed Hastings、Genentechの会長Art Levinson、GoogleのCEO Eric Schmidt、元カリフォルニア州監査役でベンチャーキャピタリストのSteve Westly Doerr、スタンフォード大学学長John Hennessyらがいる。会場はKleiner PerkinsのパートナーJohn Doerrの自宅。

ぐらんぴ2011年02月19日 10:24
説明はこちら↓

http://jp.techcrunch.com/archives/20110218what-are-president-obama-zuck-jobs-and-other-silicon-valley-tech-stars-toasting-to/

のぶ翁。2011年02月19日 11:22
名前が入ったのは、その下に。

http://mashable.com/2011/02/18/obama-toasts-tech-with-industry-luminaries/


ラリー・エリソンは、京都南禅寺の
豪邸「何有荘」を買ったんでしたっけ。

やはりジョブズの体調は気になります。

のぶ(nob)2011年02月19日 11:41
お、みんなに紹介しよう、と思ったらTechCrunchの記事だった(私はそこの翻訳者> ご存じない方へ)。いい写真ですね。

記事内のリンクをクリックしてびっくり。ホワイトハウスがFlickrのアカウントを持っていて、大量に写真の公開している。カッコいいなぁ。

ぐらんぴ2011年02月19日 15:52
>のぶ翁さん
情報ありがとうございます。名前がついてない女性がひとりいますが、これは誰かの奥さんなんでしょうか。あるいは大統領の側近?
京都南禅寺の何有荘(かいうそう)、ラリーが買ってしまったんですか? まあ京都の芸妓さんに惚れていれあげちゃったというぐらいの人ですからね。まったく日本文化に理解のない富豪に買われるよりいいですかね。

>のぶ(nob)さん
最初はのぶさんが翻訳したかなと思いましたよ。(^_^;)
ホワイトハウスがこういうの発表するというのは、国民に対するアピールもあるんでしょうね。しかしザッカーバーグ、大統領とどんな話をしてたんでしょ。

エリザベス・エドワーズの遺書 2010年12月11日14:04

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以下の全文は来週火曜日以降、JMMのホームページから読めるのですが、思うところあって全文を転載しておきます。

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■『from 911/USAレポート』第488回

「ある親日家の死、電子書籍で読むエリザベス・エドワーズ女史の遺言」

 12月6日の月曜日、一つのニュースが全米を駆けめぐりました。それは2004年の大統領選で、ジョン・ケリーの副大統領候補として善戦し、2008年にも予備選を戦った政治家ジョン・エドワーズの夫人、エリザベスさんについてのニュースでした。エリザベスさんは、2004年の選挙終了時点から乳ガンの闘病を続けていたのですが、今回は医師団から「これ以上の治療は無意味」という告知を受けた、そんな短いニュースでした。

 ニュースの中にあった医師団の見解では「余命は月単位で語るというよりも週単位だろう」という文言もあり、人々はこの苦難に満ちた女性の死を覚悟したのですが、翌日になるとこの報道は間違っていたことが分かりました。週単位というのは結果的には意味のない表現であり、翌日の7日には訃報が全米に伝えられたのです。享年61歳。

 どうしてこの政治家の奥さん以上でも以下でもないエリザベスさんの死が全米で注目されたのでしょう。それは彼女が歩いた道が余りにも苦難に満ちていたからです。エリザベスさんと、ジョン・エドワーズは法科大学院時代に知り合って結婚し、夫は医療関係の訴訟における派手な法廷弁論で大成功し、妻は破産法などの専門家として活躍するという「おしどり弁護士夫婦」でした。経済的にも恵まれた生活がそこにあったのです。ですが、まず第一の悲劇が彼女を襲いました。

 1994年に最愛の長男ウェイドさんが交通事故で亡くなったのです。彼女の落胆は激しく、仕事は辞めて一日に一度はウェイドさんの墓で時間を過ごし、それ以外は何をすることもできずに天気予報の画面を見つめるだけの日々を一年近く過ごしたのだといいます。夫婦はそうした危機に対して、考えられる限りの決断を下しました。
夫のジョンは、カネのための法廷弁護士を辞めて政界を目指す、弁護士としては旧姓を使っていたエリザベスさんは夫を全面的に支えるため夫婦別姓を止めてエドワーズ姓を名乗る、更には「笑い声に満ちた家庭」を取り戻すために不妊治療を受けて子供をもうける、という通常では考えられないような決定をしたのでした。

 結果的に夫は連邦の上院議員の座を勝ち取り、可愛い小さなお子さん二人にも恵まれて危機を乗り越えることができたように見えました。ジョンは民主党の副大統領候補の座まで上り詰めたのです。ところが、そこへ第二の危機が襲いました。2004年に大統領選が終わった時点で、エリザベスさんは乳ガンの罹患が見つかって闘病生活が始まり、2006年までには回復が認められたものの、2007年には骨髄を含む全身への転移が見つかって「治療は可能だが完治は不可能」という宣告を受けたのでした。

 それだけではありません。2008年から09年にかけては第三の危機が訪れました。選挙運動中に知り合った女性との夫の不倫が発覚し、更には隠し子の疑惑、夫の公私に対するその否定と最終的にはその女性の子供の認知という泥沼劇は、タブロイド判の新聞に格好の話題を提供する形になりました。ジョンは政治生命を絶たれる一方で、エリザベスさんは好奇の目に晒されると共に、子供の死、自身の闘病、そして夫の裏切りという「三重苦」を抱えて闘う「聖女」というイメージでも見られていったのでした。

 訃報を受けて、CNNなどは大きな特集を組んで故人を偲んでいましたが、その中で個人的にも親しかったという政治評論家のキャンディ・クロエが「彼女の文章は本当に素晴らしかった」と言っていたこと、そしてそれにアンダーソン・クーパーなどの若いキャスターも同意をしていたこと、そのCNNはエリザベスさんの紹介にあ
たって「政治家の妻、政治運動家、そして著述家」という紹介の仕方をしていたのが私には妙に引っかかったのです。

 私は彼女が自伝的なエッセイを出していたのは知っていましたが、恐らくはゴーストライターの企画を許可した程度のものと思っていたのです。ですが、クロエやクーパーが「素晴らしい文章」というのを聞いて興味が湧いたのでした。出張直前という事情があって、時間のなかった私ですが、エリザベスさんの著書は簡単に手に入りました。まずiPadを使ってアップルの「iBooksストア」でサーチしたところダメだったので、同じiPadに入っているキンドルのアプリで調べると簡単に本が手に入ったのです。思い立ってから僅か3分という素早さでした。

 キンドルのアプリは本格的に使ったのは初めてでしたが、非常に画面が読みやすく、英語の本だとどうしても日本語のような速読の出来ない私ですが、実にスムーズに読み進めることができました。『リジリエンス(回復)』と題されたこの本は、しかし大変に重たい内容でした。エリザベスさんにとって「回復」というのは、折り曲げた紙をもう一度伸ばしてみて、折り目の傷は消えていないが平たい紙のように戻ってはいる、そんな状態だというのです。つまり「完治」や「快癒」ではない「ある重荷を背負っての回復」です。

 エリザベスさんは、まずお父様が脳内出血で倒れたときのシーンを詳細に描写します。そこで医師は「お父様は脳死状態です」と宣告するのですが、エリザベスさん一家は頑として認めなかったそうです。その結果、お父様の意識は奇跡的に戻り、身体機能は100%戻らなかったけれども以降18年間の老後を全うすることができたのだそうです。その生活面での支障を抱えながらも、新たな時間を獲得したお父様の老後が自分の「リジリエンス」の原点だと書いています。

 そうなのです。長男の死も、自身のガン闘病も、これと同じであってもはや平癒ということは望めない、長男の死は受け入れて背負って行くしかないし、自分のガンは完治は難しいので闘っていくしかない、それが「リジリエンス(回復)」なのだというのがこの本の一貫したテーマでした。最後の部分では夫の裏切りについての怒りや落胆が正直に述べられた後で、最終的には自分が新しい人生に向かっていくために離婚を前提とした別居に入ってゆくこと、同時に新たな人生のテーマとして家具販売店を立ち上げようとしていることが述べられています。

 そこに生への意志と希望が託されている、そうした強いトーンがそこまでの「傷を背負ったままでの回復」とは違う「ちから」を感じさせる点も、読み物としてたいへんに説得力がありました。そうは言っても本の一番終わりの部分には「最後には平安(peace)があればいい。それで十分なのだから。」という言葉で締めくくられて
おり、2009年の時点でエリザベスさんが明らかに期を意識していることは明白でした。重たい内容というのはそういうことです。

 私がこの本を読んだのには、もう一つの目的がありました。それはエリザベス・エドワーズという人が「日本」をどう考えていたのかという点です。エリザベスさんは、小学校から高校にかけての多感な少女時代の9年間を日本で過ごしています。米軍のパイロットであったお父様の勤務の関係なのですが、この時代について以前にTVで語っていたのは「自分はアメリカから遠く離れてアメリカの流行も知らず寂しい少女時代を過ごしました」「結果的にアメリカ恋しさから英語の文学を読みふけっていたのです」というコメントで、そこには親日家のムードはあまり感じられなかったのです。

 ですが、さすがに9年という時間は長いわけで、自伝的エッセイには何か出てくるのではないか? その期待は十分に、いや十二分に満たされました。エリザベスさんは、著書の中の一章を丸々使ってある日本人女性の人生を丁寧に描いていたのでした。その人は「トシコさん」といって、美しい芸者さんだったそうです。幼いときから華やかな芸妓の世界に憧れて、10歳の時に故郷の広島から京都の祇園に入門、舞妓さんとして修行の後、藤間流の日舞を極めるために東京で学んでいたのだそうです。そのトシコさんは、1945年の8月6日に偶然帰省していて爆心地近くで被爆していました。

 原爆の熱線のために着ていた着物の柄がそのまま皮膚に焼き付くと共に、大きなケロイドも残ってしまったトシコさんは、芸者さんとしては働くことができなくり、
日舞と三味線の「お師匠さん」としての第二の人生を歩むことにしたのだそうです。
当時はお父様の勤務の関係で岩国に住んでいたエリザベスさんは、お母様の薦めもあって妹さんと一緒にこのトシコさんに入門して日舞と三味線の稽古をしたのだそう
です。

 それは1950年代の末で、当時広島の町にはそうした明らかに被爆者であると分かる人々が沢山いたのだそうです。エリザベスさんのお母様は、さすがに幼い娘たちには資料館へ行くことは許さなかったそうですが、町の様子、トシコさんをはじめとした被爆者の傷については包み隠さず娘たちに見せ、説明もしたというのです。まだ小学生のエリザベスさんでしたが、トシコさんの話から原爆の悲惨さを学びつつ、傷を負っても気丈に生きていたトシコさんの生き方から「回復(リジリエンス)」のちからを学んだのだといいます。

 勿論、エリザベスさんは「軍人一家」の娘であり、原爆投下への批判であるとか、現在進行形での反核といった文言は出てきません。ですが、行間には原爆投下への怒りがあるのは明白でした。そのように言外に意を含む書き方についても、日本の影響が感じられるように思うのです。

 この本の第四章は全てこの「トシコさん」に関する記述で埋められているのですが、これを読んで私は激しい後悔の念を抱かされたのでした。エリザベスさんの中には、間違いのない「日本」が生きていたのです。それは、被爆の痕跡を隠さずに日舞を教え続けるトシコさんの気丈さであり、その立ち居振る舞いにある美学であり、その美学の中にある「ある強さ」がトシコさんに「第二の人生」を生きさせる強さになっているという理解でした。

 基地内での生活についても書かれていますが、印象的だったのは「調布」の高校生の時にチアリーダーをしていて、丁度フットボールの試合を応援しているときに、お父様がやってきて「今から当分ベトナムだ」といって別れを告げてクルマに乗り、去っていったというエピソードです。その後の後半戦、高校生のエリザベスさんは泣きながら応援を続けたのですが、周囲の人に対して自分がどうして泣いているのかは説明できなかったのだそうです。

 勿論、軍人の娘としてガマンしていたのだということだと思いますが、その「自分が泣いていることの本心を周囲には理解して貰えない」感覚が、今の「三重苦に苦しむ自分」と「周囲」の距離感と重なってくるのだというのです。「聖女エリザベス」というイメージは本当の自分ではない、その思いが本を書く動機になったというのですが、これも偽らざる感想なのだと思います。

 文中にある日本文化に関する表記が正確なことも含めて、このアメリカで最も有名な女性の一人の精神の中には「日本」が脈々と受け継がれていたのです。ベトナムへ旅立つ父を泣きながら見送った「調布」という場所も、何度も本に出てくるのを見れば、この女性にとってはある種「帰っていく場所」のようにも思われます。そのことをインタビューしてみたかった、その強い思いはしかし永遠に不可能になってしまったのでした。後悔とはそういうことです。

 もう一つの発見はこの古風な「元文学少女」がIT技術と意外な親和性を持っているという点です。まず1994年に亡くなった長男のウェイドさんは大変優秀な高校生で、94年の時点でインターネットにかなり理解を示していたのだそうです。そのウェイドさんを偲んで、エリザベスさんは母校の高校に「コンピューター・ラボ」を寄贈して、今も活動が続いているそうです。また、苦難の時期には多くの人から送られたEメールに励まされたことも多かったと述べていますし、亡くなる前日に「医師団からの宣告」を受けたと公表したのも自分のフェイスブックのアカウントからでした。

 その意味で、この『リジリエンス』は電子書籍で読まれるのが極めて自然なのだと思います。ちなみに、少女時代にエリザベスさんが読みふけっていたのはヘリー・
ジェームスだそうで、その早熟な文学体験が、こうした様々な苦悩を言葉として吐き出させる原点になっていたのでしょう。文章としては、かなり練り込まれた読み物になっています。クロエやクーパーの言うように、最後は著述家としてこの人は逝ったのだと思います。
(引用終わり)
====================

電子書籍で読まれるべきかどうかはともかく、日本語訳が待たれますね。芸者の「トシコさん」のその後も知られるべきでしょう。
↓は筆者の情報です。

冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』などがある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
コメント
イイネ!(2) ひな_shella きた

北朝鮮に石油はない 2010年12月01日18:35

金正恩

日経ビジネス、オンラインより。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101129/217325/?bvr

この記事が言うように、北朝鮮軍が使える石油は年間30万トン、備蓄があったとしても100万トンでは、実質、北朝鮮軍は戦車、車両、軍用機、艦艇がほとんど動かせない。
だとすれば、軍事的には北朝鮮はまったく恐れる必要がない国家ということになる。開戦数日にして燃料は底を尽き、軍の機動力の一切が失なわれる。
石油の備蓄タンクを狙われたらひとたまりもない。

ちなみに太平洋戦争開戦時の日本の石油備蓄量は800万トンであった。

はたしてこの情報は正しいのだろうか。
米韓が共同して北朝鮮に徒らに石油を消費させるために軍事演習を展開しているとすれば、これは実に賢明な作戦であるのだが……。

同じ『日経ビジネスオンライン』に掲載されている小田嶋隆のエッセイ『ピース・オブ・ア・警句』の、
「ボスは、いかにして「ワンマン」になるのか」
も興味深い。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20101014/216642/

最後はこうやって締めくくられる。

>権力の頂点に立つということは、クーデターの標的になるということでもある。
 権力が十分に大きく、敵対勢力が微弱であるうちは、クーデターの危機は差し迫ったものではないだろう。
 が、彼の国は既に衰退の相に入って久しい。
 とすれば、断頭台は椅子のすぐ背後に既に設置されているのかもしれない。

 父なる人が倒れた時、人々は、粛々と新しい独裁者を戴くだろうか。
 最下層の民衆はともかく、応分の力と人望を備えた軍の実力者が、果たして若い将軍の麾下におとなしく付き従う道を選ぶものだろうか。

 私は、疑わしいと思う。五分五分より高い確率で、ジョンウン氏は父の失政を償うことになるはずだ。犠牲の羊という言い方はあまりにも残酷だが、もしあの国が新しい体制に生まれ変わるのだとしたら、誰かがその役を担わねばならない。

 で、ジョンウン氏は、デビュー数日、既に犠牲者の風貌を身にまとっている。
 すくなくとも私の目には、ひとっかけらも権力者には見えない。
 むごい話だ。
 遠い目をした顔色の悪い三男坊を地下世界から救出してやりたいと思っている私は、たぶん人間が甘いのであろう。それに、助け出そうにも、ジョンウン氏はあの狭いシャトルに収まらない。哀れだ。合掌。


数日しか戦争できない軍と、余命いくばくもない後継者。北朝鮮に明日はあるのか。
私が金正恩ならおやじが死ぬと分かったらすぐに亡命する。それが唯一、彼の生きる道。あとは野となれ山となれ。いや、そうなられても困るけれど。
コメント
イイネ!(4) misaki 霞 Mio 寿@麻屋ロープ沖縄
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コメント

縛師ダディ2010年12月01日 23:23
北朝鮮に継戦能力はほとんど無く、金正日の吸引力もまた弱まろうとしているこの時、世界は断固たる戦端を開かなければならない。

戦闘の中でのみ、北朝鮮人民のクーデターが成功しうるのであり、現権力体制を跡形もなく消し去ることができるのである。

中国がいつまでもウジウジと北朝鮮の命脈を保とうとしているのは、北朝鮮の現体制を否定することは中国政府権力を否定することであるからで、それは保身以外の何物でもない。

しかし、今、韓日米が対北朝鮮へ戦端を開いた場合、中国は静観するか、米国寄りな態度を示すしかない。でなければ、資本主義諸国から、共産国家として警戒され経済成長に影響しひいては政府の存続に関わるからである。

北朝鮮は抹殺されるべき国家である。直ちに戦端を開くべし。

安達O2010年12月02日 09:42
問題は、実際に使える核爆弾を幾つ持っているか、ですね。
ミサイルが使えなくても、運搬方法は幾つでもあるわけだし。
漁船に積んで、という事も考えられますし。

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