ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

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永井永光氏逝去 2012年05月27日

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これは迂闊だった。
荷風の養子、相続人の永井永光(ひさみつ)氏が亡くなられていた。
知ったのは市川市のホームページ。

http://www.ichiyomi.co.jp/oriori/2012ori.html

荷風が最晩年を過ごした市川市では、ずいぶん荷風についての資料を集め展示し、イベントも行なってきている。港区も見習ってほしいものだが、市のホームページでも荷風関係の情報がよく流される。気づくのが遅かったが、4月25日に肺ガンで亡くなっていたのだ。

永光氏は荷風の従弟、大島一雄(邦楽家杵屋五叟)の次男で、昭和19年、相続人がいないことを懸念した荷風が望んで養子とした。
しかしほとんど「父と子」という関係ではなかった。終戦後、市川市に転居した大島一雄の家に間借りした時、一年半余をひとつ屋根の下で過ごしたに過ぎない。しかも直後に、「この養子関係を破棄したい」と荷風が言い、裁判してまで争おうとした。
養父としては冷たい限りの荷風であったが、永光氏は「荷風の相続人」という立場を遵守し、市川市真間の荷風の家に住み、遺品その他を保管してきた。
戦後は銀座に『偏喜館』というバーを営み、その経営者として数年前までカウンターのなかに居た。
結局、荷風と同じ79歳という年齢で、荷風の命日(4月29日)に近い日に亡くなった。断腸亭日乗原本を含め、荷風の遺品は頑丈な金庫に保管され今なお散逸せずに残っているのは、永光氏の努力によるところが多い。
これらの遺品は、たぶん子息の壮一郎氏が相続することになるだろう。私は遺品にはそれほど関心はないが、ひとつだけ多いに気になるものがある。
遺稿となっている『濡れズロ草紙』の原本である。
荷風は最晩年、戦争未亡人を主人公としたポルノ小説を執筆し、それに『濡れズロ草紙』と名付けた。戦後は性的表現がおおいに緩和されたので、発表もできると考えたのではないだろうか。しかしGHQ(占領軍総司令部)の検閲はなお厳しく、地下出版でもなければ不可能と分かり、公表は断念されたと思われる。
これを読んだ人は、荷風研究者やごく近しい知己数人だけと思われる。
『四畳半襖の下張り』がすでに完全復刻されて刊行されている現在、この伝説のポルノ小説の刊行を妨げる要因は無いと思われるが、永光氏は概要と遺稿の表紙を発表するだけで、全文の公表を固く拒んできた(おそらく多くの出版社から要請があったと思うが)。
つまり永光氏は、この内容が「荷風の威信を傷つける」と危惧したものらしい。まあ戦争未亡人が娼婦となり米兵(黒人もいる)と交歓するような内容もあるらしいから、かなり過激なハードポルノのようだ。永光氏は養父が「こんなワイセツなものを描いて」と批難されるのを怖れたのだろう
その気持ちは分るのだが、世の荷風ファンにとっては、これはぜひ読んでみたいものだ。なに今どきのポルノ小説に比べたらどうということはありませんって。(^_^;)
さて、『濡れズロ草紙』はどうなるのか。相続人はやはり封印し続けるのだろうか。

永光氏が荷風との思い出を記した『父・荷風』(白水社)の表紙は、亡友・松本哉君が描いたイラストを用いている。荷風研究に没頭した哉君は銀座の『偏喜館』も訪ね、いろいろ取材して永光氏と親しかった。その関係であろう。
元気な時は私を永光氏に紹介してくれると言っていたが「また銀座で飲みたい」と言いながら闘病の末亡くなった。『偏喜館』で共に飲むという夢はかなわなかった。会ったら永光氏にぜひ『濡れズロ草紙』を拝ませてもらおうと頼むつもりだったが。
合掌。
コメント
イイネ!(1) かおる姫
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退会したユーザー2012年05月27日 13:17
内容云々の前に、題名がストレートすぎて公表を躊躇されたのだとか。濡れズロはエログロの語感を意識したのかもというのは考えすぎでしょうか。この題名を拝借して「濡れパン物語」を書こうかなと思いました。
ぐらんぴ2012年05月27日 13:30
新潮社とんぼの本『永井荷風ひとり暮しの贅沢』に、永光氏は『濡れズロ草紙』(ぬれずろ草紙)のかなり詳しい内容を、抜粋した原文とともに紹介していますが、完全な公開をさし控える理由は記していません。ただ「この公開には私なりの考えがあっての一回きりの体験だった。これよりのちは一切これを公けにするつもりはない」と結ばれています。永光氏自身はこの作品の貴重さは理解しているようなのですがね。研究者は最晩年に発表された短編がひどく未完成な理由を不思議がっていますが、どうやらすべては「濡れずろ草紙」と組み合わせて、一編の長篇になるような仕掛けだったと思われます。だとすると最晩年の荷風短編の秘密をさぐるにも、この濡れズロ草紙の公刊は必要不可欠なんですがねえ。どうも新潮社が強力に根回ししているようなので、壮一郎氏の考えによっては刊行される可能性があるかもしれません。
ぐらんぴ2012年05月29日 18:58
facebook では同じコンテンツを投稿しても、一定の反応を得られるんだけど、mixiはほとんど反応が得られない。その対比が二つのSNSの特徴なんだろうか。ちなみにマイミクと友達の数はほぼ同じ。
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勝本清一郎と藤間静枝 2011年03月10日05:02

藤間静枝

(荷風関連です。荷風に興味ないかたはスルーを)

荷風の妻の座を捨てて六年後、藤間静枝(芸者八重次、本名内田八重、のち舞踊家「藤蔭静樹」)は若き慶応ボーイの勝本清一郎と恋愛し同棲します。年齢差は20歳。
この関係がどうやって始まったのか、少なくとも荷風の関与はなかったことは明らかですが、気になりまして、すこしググってみました。
そうしたら「三田文学 勝本清一郎」のキーワードで、昨日mixiからFC2へ転載したばかりの「ぐらんぴ日記」、「荷風と勝本清一郎」が10位ぐらいにヒットしました。(*×*;) とりこみが早いですね。
この場合は自分が書いたことを覚えていますから、前のように腰を抜かすほどビックリしませんが。(笑)

そこで見つけたのが、平成14年に八木書店から発刊された『徳田秋聲全集第三十九巻』の付録小冊子。
ここで立教大教授の石崎等氏が「叡智、モデル、推力 『仮装人物』について(上)」という題で、この二人の関係、ならびに秋聲と山田順子をめぐる関係について言及していました。
当該個所を抜粋します。

>(『仮装人物』のなかで秋聲が言う)「彼等の恋愛」とは雪枝の愛人、吉元と庸三の愛人葉子の新しい恋愛である。今まで清川=吉元のモデルを敢えて伏せてきたのだが、もちろん勝本清一郎のことである。雪枝は藤間静枝。永井荷風と別れた彼女は、当時四〇歳を過ぎていたが、新作舞踊家として活躍していた。勝本は大正一一年一一月の『三田文学』に「藤間静枝女史の芸術――舞踏詩『秋の調』に就て――」を発表、それが機縁で二人の親交が深まり、やがて静枝は勝本を年下の愛人とした。静枝は山田順子の長女(小説では留美子)を自宅に預かり、舞踊を教えていた。『仮装人物』にも描かれているが、秋聲は順子との交際を通して静枝を知り、順子の娘の舞踏発表会で勝本を知った。
 ところで、勝本清一郎は慶応出のマルクス・ボーイであり、当時、颯爽とした気鋭の評論家であった。『仮装人物』の登場人物をすべて仮名にした作者は、仮名の人物が発表した文学作品については改めずにそのまま用いている。勝本の短編『肉体の距離』(昭和二年一月『三田文学』)がそれである。この小説は多少の粉飾はあろうが、勝本が静枝との関係を描いた私小説と読むことができる。
 自由奔放で年上の女優・康子(静枝)は、身体を壊し、腸炎と下痢に悩んでいる。若い昌作(勝本)を愛しながらも、彼の性欲に満足に応えられず、ヒステリックになっている。凶暴な肉体は容赦なく康子を求める。感情的な確執に苦しむ二人は、日光への小旅行を試み、抗争の果てにやがていたわり合い、<肉体の距離>が浄化されていく、という筋の小説だ。秋聲は『仮装人物』の十二章で葉子と「青年」の関係に対する庸三の複雑な心理を描くに際し、「肉体の距離」を引き出す。


そのあと、秋聲は勝本氏について「プロレタリア文学理論を説く時代のスターでもある若い男」と描写しています。とにかく颯爽としていたんですね。今の感覚でいうとマルキストなんて野暮ったいとしか思えないんですが、当時は「マルクス・ボーイ」と称される、時代の先端を行く学問だったんでしょう。

山田順子は娘が静枝の舞踊の弟子でしたから、その縁で秋聲と勝本がからみます。秋聲は静枝とはからまなかったようです。
勝本氏と静枝の関係は数年続いたようですが、断腸亭日乗で荷風は、そのことを知ったばかりのように書いています。(昨日の日記参照)本当にそうだったかは分かりません(荷風は日乗のなかにずいぶんと創作、つまりウソを書いていますので)。

これ以上踏み込むと秋聲の『仮装人物』から三田文学のバックナンバーまで渉猟しなきゃなりません。勝本清一郎と藤間静枝の関係については、ここまでとしておきましょう。

(画像は「藤蔭静枝」のサインがある藤間静枝のブロマイド)
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コメント

ぐらんぴ2011年03月10日 16:38
ここまでくると、誰も関心なくなっちゃうね。さすがに私にしても徳田秋聲なんて読まないし。(苦笑)

ただ推測するだけでしかないが、荷風はやはり、勝本清一郎が元の妻の愛人となったことは不愉快だったのではないだろうか。それが『日乗』での彼の扱い(わざと本名を書かない)に反映していると思う。

荷風と勝本清一郎 2011年03月08日18:09

勝本清一郎

(荷風関連です。荷風に興味ないかたはスルーを)

「えーと、勝本清一郎って誰だっけ」

そう思われたかたは↓こちらを。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1671245301&owner_id=170858
http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-entry-1789.html

続きを書こうと思って忘れかけていたら、小谷野敦(こやの・とん)『現代文学論争』(筑摩選書)の『方法論(三好―谷沢)論争 1977』の項にまた彼の名が登場してきました。
この論争は「北村透谷全集」を編んだ校訂者としての勝本清一郎の手法をめぐって争われたもので、小谷野氏はこう記しています。

>勝本清一郎(1899-1967)は慶應出身の文藝評論家、研究者だが、若い頃は『三田文学』に拠り、永井荷風門下として評論に健筆を揮っていたのみか、荷風の妻の藝者が離縁された後を引き継いで愛人とした。これがのち、文化功労者となる藤蔭静樹、当時藤間静代である。当時『三田文学』に勝本はこの女との生活を私小説として載せており、そこでは年上の静代のことを「おばさん」と呼んでいる。
 ところが今度は、徳田秋聲が、弟子であった元人妻の山田順子を年の離れた恋人にして、結婚しようとしたところを順子が勝本の許へ逃げるという事件が起き、のち『座談会 明治文学史』(岩波書店)で勝本は、静代と別れるためにやったと「自白」している。

(*小谷野氏は「藤間静代」と記しているが「静枝」が正しい。ここでは、なぜ「静代」なのかは不明)

どうも日本橋生まれの慶應ボーイで才気はあるわイケメンだわで女性にモテたタイプでしょうね。文学者ふたりの元妻と愛人とを自分のものにして、しかも自分からは惚れたはれたと言ってない。イヤなやつだ。「もてない男」の小谷野氏はなぜこんなやつを評価してるのか。(笑)

ともかく、「荷風から妻を譲られた」と書かれていた前の文章に続いて、また勝本清一郎についての文章が目に留まったということは、あの世の小谷野氏が(まだ死んでないけど)「勝本清一郎を忘れるな」と言ってるのだと受け止めて調べてみました。

小谷野氏が言及している『座談会 明治文学史』は岩波の現代文庫で出ている『座談会 明治・大正文学史』でしょう。前回書いたとおり、私はこれを(4)まで持っていたので、改めて読み直してみました。
「静代と別れるためにやった」なる発言は、どうも見当たりません。この座談会は(6)まで発売されているので、残り2冊にあるのかどうか。

勝本清一郎氏は、大学などの組織に属したことのない、終生在野の人だったようですが、近代文学研究家としては非常に高い評価を受けていますね。私は無知無学にしてほんとにこれまで知らなかったのですけれども(目にしてても秋庭太郎氏ら荷風研究の権威と違って、強く記憶にとどまらなかったんですね)。
彼と山田順子のことに関しては下のブログを。
山田順子は、大正時代の松田聖子だったのですかね。(笑)

http://blog.nagii.org/?day=20080528

調べて分かったところでは、確かに勝本氏は「三田文学」に拠っていたのですが、現役教授だった頃の荷風との接点はありません。
荷風が三田の慶應にいたのは、明治43年(1910)32歳~大正5年(1916)38歳のほぼ7年間。勝本氏は明治32年(1899)生まれですから、荷風が慶應を去る大正5年としても16,7歳。文学部フランス文学科、永井荘吉教授の謦咳には接することはできません。しかし「三田文学」関係の集いで40代、男ざかりの荷風の、元気な姿を数回は見ていると言っています。
ですから勝本氏と荷風の直接的な師弟関係というのはなく、氏が荷風崇拝者であったことは間違いないにしても、その関係は一方的な「私淑」の域を出ていないと思われます。

さて、年表によれば、荷風と静枝(八重次)の離婚は大正4年(1915年)。荷風は37歳、静枝は、えーと、彼女は1880年生まれですから、この時36歳。この静枝と勝本氏が出来てしまったのが大正10年(1921)です。
勝本氏はこの時、22歳の慶應学生(のち大学院に進む)、静枝は43歳ですか。実に20歳ぐらい男が年下の関係だったわけです。
荷風との離婚から6年めです。どの段階で知り合ったか分かりませんが、ここで分かることは、

荷風が静枝を譲ったわけではない。

ということですね。女性との出入りが激しかった荷風は6年も前に家を出ていった後妻のことなど、気にもかけていなかったことでしょう。
そして、

荷風は勝本清一郎のことも気にかけていなかった。

これも、ほぼ確実だろうと思います。勝本氏は「荷風の弟子」を自認していたにせよ、荷風のほうではまったく歯牙にもかけていなかったふうなのです。まあ『三田文学』に書いている人物として名前と顔ぐらいは覚えていたにしろ。
どれぐらい歯牙にもかけていなかったか、というと、『断腸亭日乗』に彼の名前は一個所しか出てこないことで分かります。
それも後妻だった八重次=静枝に関しての項目。

昭和3年1月19日の記述から抜粋します。

「是夜太牙女給仕人の語る所によれば、藤間静枝とその若き情夫勝見某との艶聞報知新聞紙上に掲載せられたり、數日前のことなりといふ、余は平生新聞を手にせざるを以て何事も知らざりしかが、女給の談話によりて數日前静枝の余の許に突然寒中見舞の手紙寄越せし所以を知り得たり。」

(*太牙は銀座の「カフェ・タイガー」のこと。ここはホステス=女給仕人が客を接待してくれました。いまで言えばレストラン+酒場+キャバクラみたいな所でしょうか)

「その若き情夫勝見某」とあるのが勝本清一郎氏ですね。なぜ勝本が勝見になっているのか、これも分かりません。荷風に何か考えるところがあったのか、あるいはテンから名前なぞ覚えてなかったのかもしれません。それぐらいの浅い関係(荷風からみれば)。

「その若き情夫」としてでしか記述が無いのですから、勝本清一郎氏も悔しい思いだったではないでしょうかねえ。その一個所にしても正しい名前ではない、とくるんですから。(笑)

そしてこの年の10月には、若き勝本氏は静枝を捨て、前述の山田順子と一緒になってしまいます。どうも年がずっと上の静枝との仲は、しっくりゆかなかったようです。でも43歳の熟女と22歳の大学生。当初は、性的には燃えたんじゃないでしょうか。(^_^;)

直接の指導は受けてなくても私淑の師である人物の、その妻だった女性を抱く、というのは、若き勝本氏としては感慨深いものがあったはずです。当然ながら荷風との生活もいろいろ聞き出していて、座談会ではいたるところにその知識を披露しています。
前の日記に書いた荷風のフェラチオ好きを「異常性欲」と見なした部分も、たぶん静枝との寝物語で得た知識でしょう。
見ようによっては「静枝を下世話部分のネタ元にした」ともとれますね。イヤな部分を書かれると荷風ファンとしては心おだやかならずといったところが無きにしもあらずです。(^_^;)

まあ、この二人の関係は勝本氏が『三田文学』に掲載したという三本の短編を読んで理解するしかないのですが、うーん、該当の『三田文学』、どこで読めるかしらね。

残る問題は、小谷野氏がなぜ「荷風から譲られた」と書いたか、という問題ですね。小谷野氏は私の知らない情報を知っていて(当然だ)、それに拠ってそう書いたのか、あるいは単なる言葉のあやなのか。
ご当人に質問するのが一番てっとり早いんでしょうが、あまりにも違う世界の人ですし、学識は山のようにお持ちの人。恐れ多くて恐ろしくて、とても質問なんて出来ませんね。 twitter でフォローしてる仲なんですけれども。

荷風から見た藤間静枝の人となりですが、荷風は昭和15年12月1日の『日乗』に、非常に詳しく記述しています。ご興味のあるかたは参照されてください。

なお、藤間静枝が藤蔭静枝、のちには藤蔭静樹(ふじかげ・せいじゅ)と名乗るようになった経緯もここになんとなく記されていますが、藤間流の名取りだった彼女が芸者(八重次)になったことで、古参弟子から苦情が出たのが原因のようです。当時、名取りが芸者になってはいけないという流派内の定めでもあったのでしょうか。

(画像は晩年の勝本清一郎氏)

コメント
イイネ!(3) 猫神博士 小夏マーマレード 冴月さくら
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コメント

霞2011年03月08日 22:04
山田順子氏のお嬢さんを知っています。
順子氏もカクやとおもうほどの、多情なおくさまでした。
もと出版社社長のご主人は、高円寺でスタンド・バーをなさっていましたが、おくさまの行動には、手がつけられず放任しておられましたネ。

ぐらんぴ2011年03月09日 03:39
>霞さま
おお、それは何たる奇遇というか何というか。(*_*;)
戦後の人は山田順子なんて名前は分からないでしょうけど、戦前は竹久夢二が熱をあげ、浮き名を流してマスコミがいろいろ騒いだひとらしいですね。
多情の血はやはり母ゆずりだったんでしょうか。

ぐぐったら自分の日記が 2011年02月10日06:06

小谷野敦氏のブログ『猫を償うには猫をもってせよ』を読んでいたら、

勝本清一郎

という名前が出てきました。
寡聞にして私の知らない名前です。
こう説明されていました。

>勝本清一郎はそれほど重要な文学者ではあるまい。
ただ若いころの勝本の、永井荷風から藤間静枝を譲られ、次は徳田秋声から山田順子を押しつけられ、といった経歴が奇抜なので、私は勝本の伝記を書こうかと思ったことがあった。しかしそれなら勝本のものをほぼ全部読んでいる山田博光が書くべきだろうし、岡本が書いてもよい。私は勝本が、藤間静枝との生活を描いた小説三篇を読んだが、これはとうてい単行本にして出せないほどの出来であった。

荷風ファンとしては、「ぬ?」と思って読み過ごせない部分ですね。

藤間静枝は荷風の二番目の、そして最後の正妻です。もとは新橋の芸者「八重次」。荷風とは明治43年ごろ知り合い「情交」する関係になり、大正3年9月、後妻として余丁町の荷風邸に暮らすようになります。
ところが荷風の浮気のせいで夫婦仲はうまく行かず、翌年2月には静枝のほうが家出し離婚が成立します。一年足らずの正妻だったわけですね。
荷風は「芸者を妻とした」ということで実弟、永井威三郎(農学者、日大教授)に責められ、彼とは一生、不仲になりいがみあいます。

まあ別れたあとも荷風と静枝の関係は淡々と続いたようです。
静枝はのち藤蔭静枝と名乗り「藤蔭流家元」となって日本舞踊の世界では一流をなすにいたり、紫綬褒章を得ています。
その藤間静枝の愛人となっていたのが勝本清一郎という文学者だというのですから、これは見過ごすわけにはゆきませんね。特に「譲られた」とあっては。(笑)

そこでGoogleで検索をかけてみたら、一応の経歴と藤間静枝と同棲していた事実、そして彼女のために芝居の脚本を書いてやったこと、彼女との関係を小説にしたこと……などは分かりました。

まあ藤間静枝=藤蔭静枝(のち静樹)は荷風の後妻ということですから、これはもう荷風ファンとしては当然守備範囲ですが、その後妻の愛人となると、そこまではなかなか手が回らないわけです。(笑)
勝本清一郎についても、Googleや Wikipedia で、なんとなく「はー、そういう人間がいたか」とは概略理解できたのですが、小谷野氏は「荷風から静枝を譲られた」というのですからいささか穏やかならぬ事情があったのではないかと思うではないですか。
私はそれに関する情報が何か得られないかと、さらにGoogleで検索したわけです。キーワードは「荷風、勝本清一郎」。

そうしたらなんと、10数位に「ぐらんぴ日記」が出てきたじゃありませんか。(*_*;)

びっくりでございます。←村西とおるふう。

「どんなやつだ」と調べてたら、なんと自分がmixi日記で書いてたんですねえ。(FC2のブログ「ぐらんぴ日記」はmixi日記と同じものです)
mixi日記ですとGoogleにはひっかからないのですが、非常時に備えて同じものをFC2ブログにしていたから、それでひっかかったんですね。

ぐらんぴ日記ですと、これです。
「変態作家:永井荷風」
http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-entry-1503.html

なるほど、荷風を変態呼ばわりしていたこの人物が、荷風の後妻と出来てしまった文学者だったのですね。

(この項、いろいろ興味深い発見があったので日付を変えて続けます)
コメント
イイネ!(1) 小夏マーマレード
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コメント

のぶ(nob)2011年02月10日 08:56
ぼくも時々、検索して自分の日記を見つけることがあってびっくりします。「吸盤」とかで見つけた時はそれほど驚かないのですが、思いがけない検索語でひっかかることもあります。一番驚く、というか笑ってしまうのが「自分の日記と知らずにしばらく読んでしまった時」です。

ここmixiもfacebookもGoogleにはひっかからないから、だんだんそういう楽しみもなくなってくるかな。ぐらんぴのように、二重化しておくのもいいですね。

霞2011年02月12日 22:41
わたしも体験あります。
それも、グーグルのトップになってしまって…。
ブログに「ダヴィンチンチ・コード」の感想を書いた時。
なにか、宗教関係の方を刺激してしまったのか…。すごいアクセス数だったので…。

敗荷のナンパ  2010年11月11日04:02

荷風と踊り子

荷風とストリッパー

小峰inターミネーター2


前の日記で「蓮」と「荷」は同じものだと書きました。
「荷」(か)は、もともと「蓮」を意味する形成文字。
字典によれば、本来は「何」という文字が「になう」「引き受ける」、そうされるモノとして「荷物」を意味していたのだそうです。
ところが「なに?」という疑問の意味が強くなったので、その代わりに「荷」を使うようになった――とあります。まあ「はす」については「蓮」という字もあるんだから、そっちを使え、ってことで、本来の意味が奪われた文字なんですね。
もちろん完全に意味をとられたわけではなく、「荷」=「蓮」という二文字併行使用というのはずっと続いてきたわけで、昔の人であればだいたい「蓮」という意味があることは分かっていたのではないかと思います。

これが戦後の教育では「荷」は「荷物、かつぐ」という意味にだけ限定されて教えられるようになり、戦後世代では「蓮」は完全に忘れ去られた意味になったようです。読みも「荷物」「重荷」の「に」が真っ先にくる。
「負荷」「荷重」「荷担」などの「か」は一般人には縁の薄い読み。ですから浅草のストリッパーたちも、楽屋にやってくるヘンな爺さんのことを「ニフウさん」と呼んで怪しまなかったわけです。

で、戦後世代のエピソード。
私の友人に「小峰隆生」という人物がいます。映画評論家(ガン・アクションがあるものに限る)で銃の評論家ですかね。単なるガンマニアかもしれない。週刊プレイボーイのライター時代、うかつな発言で宅八郎の反撃を招いてかなりダメージを受けた事件を思い出す人がいるかもしれません。

私がまだ週刊プレイボーイでライターやってるころですが、そのコミネ氏が私のところにやってきて、
「Oさん(私の本名)、これ読めますか」と一枚の名刺を差し出したのです。
下のほうの名前は忘れましたが、ごくふつうの女の子の名。姓のほうが、

荷見

昨日の日記から読まれているかたなら読めますね。
私は荷風愛好家ですから、もちろん読めます。
「読めるけど、これがどうしたの」
「いや、実はかくかくしかじか」

当時独身のコミネは、都内某所の飲み屋で(たぶん昔の『ナジャ』)ある女性と出会いました。
彼好みの魅力たっぷりの女性で、やはり出版関係の仕事をやっているらしい。
話しているうち、どうも「やれるのではないか」と考えたわけですね。向こうも憎からず思ってるようだし。
そこで「やらないか」と口説いたわけです。
むこうは「帰ろうかな、つきあおうかな」と迷っている。私なら帰るけどね。(笑)
しつこくコミネが口説くと、彼女はやおらさっきの名刺を出したわけです。

「私の名前が読めたら、寝てあげる」

喜びいさんで名刺の姓に目をとおしたコミネは、うッと詰まってしまいました。
「ニミ?」「違う」
「カミ?」「違う」
「ニケン?」「違う」
「カケン?」「違う」
「うーん、分からない……(;_;)」「ブー。残念でした」
彼女はさっさと帰ってゆきました。

それでコミネは頭にきて、その名刺を周囲の誰彼に見せて回ったのですが、誰も読めなかったというのですね。
私が教えてあげると、「そんな読み方があるんですか! 反則だ。ルール違反だ。くそー……」と、しばらく悔しがっていましたね。

荷見姓って、そんなに珍しくないような気がしますが、周囲にいればともかく、いなきゃ分からないかもしれませんね。あなたは荷見さんと出会ったことがありますか。

(画像上と中は、戦後、浅草のストリップ劇場に入り浸っていたころの荷風と踊り子たちの写真。石川淳はそもそもこういう荷風が嫌いだったんでしょうね(笑) 踊り子たちは「ニフウさん」「ニフウ先生」と呼んで、荷風は訂正したりしなかったそうで)
(画像下は『ターミネーター2』に出演した小峰隆生氏。この直後撃たれて死ぬ。10秒ほどの名演?)

イイネ!(2) Y嬢 猫神博士

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コメント

ぐらんぴ2010年11月11日 04:17
これを読んで私のことを「戦前世代」と思う人がいるかもしれないな。(^_^;)
私もまた「戦後の教育」を受けた戦後世代ですからねえ。(笑)
もちろん荷風を研究する前までは、「荷」が「はす」だなんて分かっちゃいませんでした。

ぐらんぴ2010年11月11日 04:27
コミネは『ターミネーター2』で、どこかの店のなかでターミネーターに殺される役に出演しました。

猫神博士2010年11月11日 09:03
おいらが荷風散人のことを初めて知ったのは中学時代のことで、初見の写真がストリップ嬢たちと一緒に写っているものでしたので、長い間ただのエロじじいとしか思ってなかったのですが、今ではその姿に憧憬を感じるくらいには成長いたしました。

Commander-紫弩2010年11月11日 11:02
高校の同級生に「荷見」君っていた様な気がする・・・・・・

小夏マーマレード2010年11月11日 11:24
知人にはいませんが

川島海荷ちゃんという女優さんがいます

本名だそうですよ

おばあちゃんがつけたみたいですが、

確か
蓮の花からとったと言ってました


うみか


という音はあまりきれいに聞こえないような気もしますが


お花の名前とわかると、イメージは良いですよね

KillerLegs_Aki2010年11月11日 12:24
今の仕事場は珍しい名字がいっぱいなので読めなさそう
なのをリストアップしてみようかな~ヽ(´ー`)ノ

万里2010年11月11日 23:21
コミネ氏は、店ではなく、シュワちゃんが、「I'll be back」と云って数分後に殴り込んだ地方の警察署(主人公が、そこに誤認逮捕で捕まっていた)の廊下で、ショットガンで撃たれて亡くなった(いや、役の上でね(笑))ような気が……。


σ(^^)の世代で、「はすみ」というと、蓮實重彦くらいしか、思いつかんなぁ。それも、元東大学長とかではなく、ゴダール全集で、あっちのシナリオからではなく、(おそらく)映画館の暗闇でメモをとって、そこから「完全版シナリオ」を起こした無名時代の蓮實氏のほうね(笑)。


Wikipedia の「川島海荷」の項目によると――、

「海に咲く蓮の花という誰も見たことのない光景を秘めた名前に本人は「すごく気に入っています。響きもかわいいし、海も花も大好き」と語っている」

――そうです。
ただ、この出典は、スポニチなんだけど、命名は父親、とありますね。
(父系の女性全員が「海」の文字の名前なんだそうです)

いずれにせよキレイな名前だし、海荷ちゃんは可愛いし、諒としませう。

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官能作家・館淳一。趣味は路上観察、雑学研究からセーラー服ウォッチング、美女装子探しまで、なんでも探索。
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