ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

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石神井川の謎(2) 2011年02月16日00:52

石神井川流路地図

(2)とあるので「はて、(1)はいつ?」と思われたかた。まだ『ブラタモリ』が放映される以前のことです。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1110720436&owner_id=170858
http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-entry-673.html


先日、文庫化された塩見鮮一郎『賎民の場所 江戸の城と川』(河出文庫)を読んでいたら、偶然、石神井川の流路変更についての記述があったので、メモがわりに書きとめておこう。

塩見氏はまず、こう書いている。

>石神井川の水源から河口までの、右のような流れについては、鈴木理生(まさお)『江戸の川・東京の川』(井上書院)にその説を見出して、少し疑問は残しているものの賛同していた。それ(鈴木説)では、飛鳥山にぶつかって谷田川のほうへ流れていたこの川を、だれがいつごろ、王子駅をこえて隅田川に最短距離で結びつけたのか。それについて右(『江戸の川~』)の本では、
>>……私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。この¨工事¨の時点は頼朝の¨敵前渡河¨の先導をつとめた豊島氏によるものか、または石神井川=谷田川河口に配置された矢野氏によるものか、どちらかと推定する。


 鈴木理生氏の説を受けて、塩見氏はこう説をたてる。
「王子の崖に穴をあけた先は、かつて荒川(のちの隅田川)が流れていた土地で、しだいに干上がり、いまの尾久のあたりから地面が表われていた。この(流路変更)工事の中心になったのは豊島氏であろう。豊島清光の館は、北区豊島七丁目の清光寺のところにあった。荒川のそばに住んでいたのだから地形は知りつくしていた。工事の理由は雨期に氾濫して田畑を荒らしたせいかもしれない。また河口の江戸橋あたりに港(江戸湊)に多くの土砂が流れ込むのを避けようとした可能性も高い」

私は地形図を見て、王子が谷田川の攻撃崖であったことから、繰り返される氾濫で王子の崖は両側から崩落していって、いつかの時点で決壊し、谷田川の流路変更が行なわれたのだろう、と考えていたのだが、「人為説」もけっこう根強いのだね。

しかし鈴木理生氏の説も文書などの証拠に基づいてはいないこと、自然崩壊説と同じだ。証拠はない。
人為説なら、工事の痕跡や文書、言い伝えが残っていると思うのだがなあ。

鈴木理生氏といえば東京江戸の地理に詳しいアマチュア研究者で、東京のことを調べると必ず名前が出てくるかた。私の本棚にも多いが、井上書院の『江戸の川・東京の川』はチト高価だったので二の足を踏んだ記憶が。
仕方ない買いますかねえ。(^_^;)

ちなみに塩見鮮一郎氏といえば、浅草弾左衛門の研究で有名な被差別部落研究者ですね。文中に出てくる「矢野氏」というのが浅草弾左衛門。当時の物流の中心、江戸湊一帯を支配していた勢力の頭でした。

コメント
イイネ!(1) 若にーる
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コメント

ひな_shella2011年02月16日 01:16
鈴木氏の本、学部生のときに授業で紹介されて読みました。懐かしい…

ブラタモリは面白い番組なんですが、河川関係では
ヒドく「ありえない」ことを放送したので観るのをやめてます。
http://collegio.jp/?p=375

ぐらんぴ2011年02月16日 02:18
>ひな_shellaさん
このコレジオってブログの芳賀啓さんが、タモリ倶楽部で石神井川流路変更の回に出演していた研究家ですね。(*_*;)
その時のことを書いておられる。
芳賀さんはこの時、自然崩壊説で、江川達也氏が人為説でしたな。
芳賀さんは、この時はタモリ倶楽部出演を楽しがっていたのにね。

邪太郎2011年02月16日 05:39
なるほど。また、勉強になりました。
古地図には「脚色」の部分も多く含まれているのですね。

ぐらんぴ2011年02月19日 07:46
Wikipedia には、流路変更の諸説が簡明に記されています。

最新の「科学的な所見」によれば「縄文時代の河川争奪説」が有力なようです。以下は Wikipedia からの引用。

>1976年、東京都土木技術研究所の中山俊雄らはボーリング調査による石神井川と谷田川沿いの地質断面図を作成し、石神井川の流路変遷を論じた[7]。彼らは、谷田川から不忍池を経て昭和通りにいたる地下に基底が-20mに達する埋没谷が存在すること、石神井川下流の王子から隅田川合流までの地下に埋没谷が存在しないこと、流域の小さい谷田川のみで昭和通り谷が形成されたとは考えがたいことを指摘。昭和通り谷の形成時期に谷田川がその上流で石神井川でつながっており、これが石神井川の本流であったと結論づけた。また、立川ローム層を鍵層とした江古田層との対比より、石神井川の王子より上流の河谷底に堆積する泥炭層をサブボレアル期(4500-2500年前)のものとし、音無渓谷がこの泥炭層を開析しているように見えることから、渓谷の形成時期をサブボレアル期以後とした。
1994年、北区教育委員会の中野守久らは石神井川の流路変遷時期を特定するため、現・石神井川から離れてすぐの谷田川の谷底低地にてボーリング調査を行い、その結果を発表した[8]。彼らは山手層(本郷層)の上位に泥炭質粘土からなる沖積層を発見し滝野川泥炭層と命名、14C年代測定によって約7400年前から約1000年前までに堆積したものと分かった。中野らは滝野川泥炭層は石神井川下流部が現在の流路をとるようになってから、旧河床が沼沢地となった環境で形成されたと考えた。また、石神井川が本郷台東端で縄文海進(6500-5500年前)に形成された埋没上位波食台(中里遺跡発掘の際に発見された)を侵食していないことなどから、縄文海進最盛期より後に河川争奪が起こったと推定した。これらのことから、石神井川は縄文海進最盛期に本郷台の崖端侵食に起因した河川争奪を起こし、流路を奪われた谷田川上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層が堆積し、王子方向へと流出した新河流は河床を深く掘り込んで峡谷を作った、と結論づけた。
北区飛鳥山博物館では中野らの研究成果に基づき、縄文時代の河川争奪説の解説が展示されている[9]。
(引用おわり)

もちろん、『タモリ倶楽部』における流路変更論議のことも記されています。江川達也氏の江戸初期の治水工事説はどうも分が悪いですね。
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間抜けな事件と間抜けな名の町  2010年11月07日18:25

こんな事件があったんですね。

同伴プレーヤーに睡眠導入剤、ゴルフ大会、傷害容疑で男逮捕

http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101401001058.html

私は10月15日に外出中、間違って睡眠導入剤マイスリーを服用、TSUTAYA店内で昏倒し、日赤医療センターに搬送されて手当てと検査を受けました。この経緯は16日の日記に記しています。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1603009366&owner_id=170858

そうしたらなんと、その16日に四国香川県のまんのう町で、睡眠導入剤がらみの犯罪が起きていたとは!

記事を読むと、四人でコースを回っていたうち、69歳の男が他の3人に睡眠導入剤を溶かしたペットボトルの水を飲ませた、とあります。飲ませられたのは70代から80代の男性。おそらく「握って」たんでしょうね。だから69歳男性は勝ちたかった。そこで睡眠導入剤を溶かしこんだペットボトルの水を用意して呑ませた。
犯人のもくろみとしては、倒れるところまでは考えてなかったと思います。眠気を催させて戦闘能力というかファイト心が失せるのを期待したんでしょう。「なんかだるいな~」ぐらいでよかった。
ところが薬を大量に溶かしこんだせいか、暑くてガボガボ水分をとりすぎたせいか、あるいは老人たちは私と同様、血圧降下剤などを服用してるでしょうから、それとの相乗作用が強く出たせいか(私は血圧降下剤ノルバスクと相乗して意識不明に陥ったのだと思います)、彼らは予想以上に身体症状が出て、ふらふらとなりバタバタと倒れたんでしょうね。
それで病院に運ばれたら、最初は熱中症かと思われたんですが、血液検査で薬物反応が出た。
それで睡眠導入剤を意図的に誰かに飲まされた、と分かりました。犯人は言うまでもなくぴんぴんしていた男ですね。

あれえ、私も搬送された日赤医療センターでは血液を採取されたんですけどねえ。
薬物のことは調べてくれなかったんでしょうか。血糖値は分かりましたけど。
ぼくを診た医者は薬物と疑わなかったんですかね。香川まんのう町の病院は日赤医療センターより優秀だったのかなあ。いや、向こうは三人も倒れたので、事件性を疑ったのでしょうね。
私の場合、どうみても事件性はなかったから、薬物とは無縁に思えたからからかなあ。

しかし事件現場の「まんのう町」、この少し前に乱交グループが『四国の乱』なる50人規模の乱交パーティを開こうとして警察に踏み込まれた町ですよね。
いちやく日本じゅうに知られましたね。

しかしなぜ「まんのう町」なんでしょう。
調べてみたら「満濃池」という由緒ある貯水池があるからなんですね。
このゴルフやってるメンバーは高松から来た。乱交メンバーも松山市とか他の都市から来た。まんのう町の住民による騒ぎではないのですが、なんだかマイナスイメージがついちゃいましたね。

個人的には「満濃町」でいいと思うんですけどね。ひらがなにしたら間抜けな感じがします。乱交パーティといい眠り薬ゴルフといい、間抜けた事件が起きるのは、間抜けな町名にした罰のような気がします。(笑)

イイネ!(1) 寿@麻屋ロープ沖縄

==========
コメント

小夏マーマレード2010年11月07日 20:21
なんとなく発音しづらい町名はあまり存じ上げませんが、学校名なら心当りがあります。


練馬区立の
豊渓中学です

ほうけいちゅうがくと読みます


最初見たときは

ミスプリントかと思いました


いや
多くは語りません



わらねこ@笑夢猫ノ2010年11月07日 20:45
まんのう町は、平成の大合併のときに、仲多度郡の琴南町(ことなんちょう)と仲南町(ちゅうなんちょう)と満濃町(まんのうちょう)が合併してできた町で…

満濃町として残すのにかなりの反発があって、まんのう町になったいきさつがあります。

国営讃岐まんのう公園という大きな公園があって、子供がちいさい頃はよくいきました。

うちから、40分くらいの場所になります。

満濃池は、空海が回収したと言われる由緒ある日本一でかい潅漑用の溜め池になります。

間抜けに見えても、ひらかなにしたのは、苦肉の策なので…

まんのう町には、大きな病院がないので、丸亀の労災病院辺りに搬送されたような気がします。

ぐらんぴ2010年11月07日 21:06
>小夏マーマレードさん
豊渓中学……。
小学校だと包茎がふつうなので何とも思わないでしょうが、中学になるとそろそろ気になる年ごろなので、子供たちはイヤかもしれませんねえ。
大人になっても「どこの中学だった?」「ホウケイ中」ではちょっと言いにくいかも。
まあ、男子は包茎が自然状態なんですけどね。(挿入時剥ければいいので、英語圏には「仮性包茎」という言い方はありません)

山口県かな、防府市にはかつて「防高校門前」というバス停があったという話が。都市伝説かな。

>わらねこ@笑夢猫ノさん

あちらを立てこちらを立ててわけの分からない町名になる、いい例ですね。言いたいことは山ほどあるけど、もう何も言うまい……。ううー……、言いたい……。

わらねこ@笑夢猫ノ2010年11月07日 21:15
さぬき市、東かがわ市なんてのも、香川にはあります。ひらかながお好きなのかも。

愛媛には四国中央市なんて、大胆な名前も。

ふう@鴨2010年11月07日 21:30
小夏マーマレードさんの「練馬区立豊渓中学」近くに住んでいる私です。

最初は、と…ゆ…ほ…と言いよどみましたが、今では「ほうけい中近くまで!」とタクシーの運転手さんにも言えます。
ぎょっとされる方も多いんですけども。
30年位前から豊渓中はほうけい中だった訳で、男子生徒の皆さんをモゴモゴさせてきたのではないでしょうか。
私はここが地元ではないので分かりませんけれども。
親子2代でここを卒業なさった方によると、大変由緒ある「指導困難校」(荒れている)らしいです。
これは校名のせいなんじゃないかと勝手に思っているのですが、区も考えてあげればいいのにー。
学校代表とかにはなりたくないじゃないですか。

ぐらんぴ2010年11月08日 03:52
>わらねこ@笑夢猫ノさん
四国中央市については総務省も苦言を呈していますね。他県でこのような簒奪地名が命名されることは、四国中央市のおかげでストップするのではないかと思います。
そうですね、さぬき市は讃岐という文字が難しいといえば言えるけれど、選挙で立候補するわけでもあるまいし。東かがわ市はもういかがわしいとしか言いようがないですね。香川という文字を読めない書けないと思っているのだろうか。香川京子はどうする……って、おれも古いね。(笑)
ともあれひらがな地名をつける土地とはつきあいたくないですなあ。(笑)あ、東京には「あきる市」があったか。

ぐらんぴ2010年11月08日 04:03
>ふう@鴨さん
豊溪中学、荒れてますか。分かるような分からないような。でも他の学校からはバカにされるよね。やはり変えてやるべきだと思うけど、保存すべきという人もいるんだよね、必ず。これは由緒ある土地に由来する校名とは思えないです。

と思って調べたら、もともとは豊溪小学校に由来し、その豊溪小学校は明治6年に開校された私塾の豊溪学校に由来してます。地名じゃないんだ。
となれば豊溪小は仕方ないけど、根っこが繋がっていない豊溪中は豊溪小の創始者に義理もなにも無いんだから、いくらでも変更できると思いますけどね。出身した人たちが反対するのかな。生徒数160人ぐらいの小さな学校だから、いずれどこかと合併して消滅する可能性は大きそうです。

わらねこ@笑夢猫ノ2010年11月08日 07:17
話がそれてしまいますが…
岡山の場合、北の方に行くと、何処までも美作市だったり、何処までも真庭市だったり…もう、ここはどこ?状態。
旧町名が残ってるわけではないので、大変。
そんな状態のところ、いっぱいあるんでしょうね。

岡山市と玉野市が合併する予定だったのが、ボツ。
旧真備町は総社市と合併すると思いきや、倉敷市と合併。そもそも、総社市と関係の深い町だったのに…。お陰で今もその歪みに行政はアタフタすることあります。
猫も、真備町が倉敷市に合併したお陰で、片道45分かけて自家用車で通ってます。
公的交通で通うと1時間半~2時間近くかかる(苦笑)

小夏マーマレード2010年11月08日 11:19
>ふう@鴨さん

はじめましてm(__)m
そうですか、お近くにお住まいでしたか
校名は、地名由来ではないので、びっくりされたでしょうね

あのあたりは、昔から荒れていて有名で
というか
練馬区の公立中学は、昔からレベルの差が激しくて
他にも(名前は書きませんが)、荒れてる学校はたくさんありました

そんな中、豊渓中学は、教育に熱心(というか、規律が厳しい)なことで有名で
卒業生は全員、高校に入学した際に、自己紹介で、前もって用意した作文を
必ず読まなくてはならない決まりだったらしく
その異様に力の入った自己紹介と、校名のインパクトで
どのクラスでも、卒業生たちは、たちまち有名人になっていました
可哀相…

大人になってもそのトラウマは、続いてたみたいで
夫の実家に引越しをしたとき、豊渓中出身の同級生が近所に住んでいたことがあって
たまたま家族で公園に遊びに来ているときにバッタリ会って
奥さんを紹介されたとき、
中学の同級生なんだ、と聞いて
「ああ、豊渓中の?」と、思わず口走ってしまったら、
「そうです…ああ、でもなんか恥ずかしい…」と奥さんは、さかんに照れていました

やっぱり、100人の人が聞いたら100人全員が、「包茎」を想像すると思うんですよ、はっきり言って!!

いくら由緒ある名前かなんか知らないけど
子どもの気持ちを傷つけるかも知れない要素がある校名は、早く改名するべきだと私は思うんです
(実際、ソコの生徒じゃないから分からないですけど。誇りに思って通ってる生徒もいるかもと思うので…)
余計なお節介ですね(^^ゞ

ちなみに、校歌の一部を歌えます…
休み時間とか、いつも男子が歌ってたので覚えてしまいました
本当に気の毒な話しです(T_T)

※人様の日記で長々と関係の無い話を…すみませんm(__)m


ケイ2010年11月08日 20:53
関係ない話ついでに (^.^;)

アメリカにいたとき、会社でここのバーコードリーダーを使ってました。

http://www.mancosys.com

アメリカ人にとってはなんでもない名前なんでしょうが、こっちには日本人スタッフもいるわけで、とても発声しづらい社名でした (^.^;)

ぐらんぴ2010年11月08日 21:35
>小夏マーマーレードさん
最初に私塾を創った人が命名した時代は、「包茎」なんて言葉無かったでしょうね。「皮かむり」ぐらい。だからホウケイで何の問題もなかった。豊溪それ自信に罪はないんですけどねえ。
一校で160人の生徒なら、一学年55人ぐらい。2クラスなら27.8人。理想的な生徒数だと思うんですが、荒れる時は荒れちゃうのかな。

>ケイさん
マンコ・システムはね……。日本では受けいれららないでしょう。
さっきの「まんのう市」がなにかいかがわしく感じられるのは、やはり「まん」という文字が最初に来るのがいけないんですね。日本人はマン●●……というのに敏感に反応しちゃうから。

>ケイさん
わはは、

小夏マーマレード2010年11月08日 22:28
包茎、てそんな新しい言葉だったんですか?

うーん( ̄~ ̄;)

それじゃ仕方がない…のかな?

卒業生の方々からしたら、校名から、下品なイメージを持つ私の精神が下品ということなのでしょうか



でも

やっぱり私は、

男性バレーダンサーのタイツの股間は、卑猥だと思うし、


そういう感覚は
普通に持っていたいと思っています


豊渓中学に

子どもは絶対に通わせません


以上!

ぐらんぴ2010年11月09日 02:40
>小夏マーマレードさん
>包茎、てそんな新しい言葉だったんですか?

新しいといっても明治後期から大正期ぐらいかな。
まあ100年ぐらい前から一般的に使われるようになったでしょうね(雑誌広告の普及などで)。
地名に由来するとなると、地名は古代からあるものもあり、1000年ぐらいのオーダーになると、それに比べたら新しいということですね。私塾「豊溪学校」が出来た明治の始め(明治9年)は、まだ「包茎」は一般的ではなかったということです。

ふう@鴨2010年11月09日 02:45
小夏マーマレードさん、初めまして。
あああ。やはり恥ずかしい思いをしている生徒がそちらでも!

>男性バレーダンサーのタイツの股間
これは許してあげてください。
彼らのアレは大事なモノの保護目的でもあるのです。パットが入っています。
女性ダンサーがぐるぐる回ったり、固いシューズで飛んだり跳ねたり、
あの動きをサポートする際に付けています。
彼女達の手足がほんのちょっとでもぶつかったりすると悶絶!らしいです。

しかし豊渓とは由緒ある名前だったんですねえ。
このあたりは「豊」がつく地名が多いです。
ほうけい…まんのう…

まん!まん!・・・・・・・・・・・・ってたまに叫びたくなるのは私だけでしょうか。幼児性!

小夏マーマレード2010年11月11日 06:46
> ぐらんぴさん


いろいろ調べて教えて下さってありがとうございましたm(__)m

まさか
自分たちの誇る校名が、後にとんでもない言葉と同音になるとは、想像もつかないことだったのでしょうね


私も娘の名前を愛情こめて良い名前だと自信たっぷりで付けましたが

後に同姓同名のAV嬢が現れて、ちょっと複雑でした

小夏マーマレード2010年11月11日 06:50
> ふう@鴨さん


バレーダンサーの股間の膨らみには、大事な役割があったんですね!


全然知りませんでした


自慢なんだろうな、とか思ってました(←恥ずかしいヤツ)


教えて下さってありがとうございましたm(__)m

のぞき坂を転落した真山青果







真山青果メモ3連発です。興味のないかたはパスしてください。

昨日の日記、『原稿二重売り』事件で書いたように、自然主義派気鋭の小説家としてデビューした真山青果は、数歳年上の師である小栗風葉(おぐり・ふうよう)といつもつるんでいた。
この風葉、明治40年、牛込矢来(やらい)から府下戸塚村に移り、かなり大きな家を借りて住んでいた。妻と子は豊橋の実家に逃げていたので、青果は他の弟子や友人と押しかけ、連日酔って騒いで近隣に迷惑をかけ、文壇では風葉一門のことを「戸塚組」あるいは「戸塚党」と呼んで敬遠していた――ということは前回に書いた。
伊藤整『日本文壇史』には、当時のエピソードをこう記している。

ある冬の日に佐藤儀助(新潮社社主)と中根駒十郎(新潮社社員か)が風葉と青果を案内して、雑司が谷の鬼子母神の境内の寒雀を焼いて食べさせる料理屋に出かけた。
その帰りに四人が目白の近くののぞき坂という急な坂道を降りかけたとき、酔いの回った風葉と青果が口論をはじめた。
ふだん青果は風葉を先生として扱い、敬語を使っているが、酔うと見境がなくなるのだった。次第に声が大きくなって、青果は風葉に向い、「なんだ、このチビ」と言った。風葉は目の細い太った男で、精悍な顔をしていたが背は五尺一寸ほどしかなかった。そして風葉は背の低いことを言われるのを最もいやがっていたから、これは痛い言葉だった。
「チビとはなんだ!」と言って、風葉はいきなり青果に飛びかかった。二人は組みうちをはじめた。それが急な坂の途中だったので、二人は組み合ったままごろごろと坂を転がり落ちた。

もうむちゃくちゃだ。(笑)
この一党、特に風葉、青果の二人が新旧双方の文壇から白眼視された理由というのも分かろうというものだ。呑めば訳が分らなくなるこんな連中と付き合いたいという奴は少ない。

このあと、風葉は師である尾崎紅葉の名作『金色夜叉』の続編を新潮社から出した。佐藤儀助(のち義亮)が宴席に誘ったのは、この続編の原稿をとるためだったと思われる。
紅葉は『金色夜叉』を読売新聞に発表、単行本は春陽堂、全集は博文館が出していた。風葉は、本来ならばこの三社のどれかに原稿を売るべきだったし、何よりも紅葉一門の先輩弟子たちにひと言挨拶しておくべきだった。それをせずにいきなり新潮社に売ったため、旧文壇からは「風葉は師の遺産を盗んだ」と思われたのはやむをえないところだったろう。風葉もそれを自覚し、印税を手にするや妻と子がいる豊橋(妻の実家があった)に赴くことにした。東京を捨て、アル中共依存関係にあった弟子の青果を捨てると決意したわけだ。
「ぼくはきみよりも妻と子をとる」と風葉に言われ、青果は愕然とした。

さて、青果と風葉が取っ組み合ったまま転がり落ちた「のぞき坂」は、高田馬場のぼくの事務所から歩いても近いところにある。
目白と馬場の間、高田馬場峡谷にかかった山手線をくぐった神田川は東に流れ目白台椿山荘下を関口へと向う。その間は氾濫原となっており、暴れる神田川は蛇行きわまりなく、北側の高台を激しく攻撃して急な攻撃崖を作った。だからこのあたり、東京でも有数の急な坂(たとえば椿山荘横の胸突坂など)が横一列にひしめく。
「のぞき坂」は明治通りと目白通りの交差点から東側へ一本入ったところにある。
住所でいえば豊島区高田二丁目。
この坂は、山手線内であれば、車が通行する坂としては、間違いなく一番急な坂だ。
東京都内であれば世田谷区岡本にある坂と一、二を争うだろう。
ぼくは散歩の途中、この坂を下側から見つけ、思わずギョッとして立ちすくんだものだ。
「ウソだろ~」というのが最初の印象。人間が上り下りするのは許せるけれど、車が上り下りするのが信じられなかったからだ(しかも対向二車線である)。
どちら方向も運転者はかなり覚悟してハンドルを握りアクセルやブレーキを操作しないといけない。まさか都心の道を走っていて、こんな急坂に出くわすとは思ってもいなかった運転者は、「ぎゃああ~」と絶叫しながら下ってゆく。まるでジェットコースター感覚である。
雪の日なんか、ここはどうなるんだろうか。まずふつうのタイヤで登るのは不可能だろうし、下りもコントロールを保つのはかなり難しいと思う。
腕に覚えがあるドライバーは雪の日、ここでチキンレースをやってほしいものだ。(笑)

坂がどれぐらい急かを写真に映すのはかなり難しい。それでいろいろ工夫してみたのだけれど、坂上から撮った右の写真を見れば、予想外の急峻さだと分かってもらえるのではないか。

青果と風葉がこの坂を転がり落ちたと知って、ぼくはかなり愉快な感想を覚えたことである。二人の小説家が彼らの夢と憤懣とともにここから転落したのである。
興味があったら、諸氏も何かのおり、この坂を訪ねてみてほしい。鬼子母神で焼いた寒雀を食べたいものだが、食べられところがまだあるのだろうか。

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官能作家・館淳一。趣味は路上観察、雑学研究からセーラー服ウォッチング、美女装子探しまで、なんでも探索。
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