ぐらんぴ日記

mixi上で「ぐらんぴ」が書いている日記の引っ越し版です。文字サイズ変更できます。

「Elégie en rouge」 2012年06月11日

赤色エレジー仏語版

前の日記でスピーチしてた林静一氏。万里さんが言ってたように『赤色エレジー』で一躍世に知られた。のち『小梅ちゃん』のCMで一世を風靡、現代の竹久夢二なんて喧伝されたものだ。
このほど『赤色エレジー』のフランス版が出版された。すごいなあ。国際的漫画家。
タコシェで入荷したとあったから買いに行こうかと思ったら、もう売り切れてる。
さて、直接フランスに注文しなきゃいかんかな。
しかしいったい幾らなんだ。

http://tacoche.com/?p=2227


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イイネ!(4) うみの きた わらねこ@笑夢猫 むー
ぐらんぴ2012年06月11日 13:16 削除
フランス Amazon で売ってた。http://www.amazon.fr/Elégie-en-rouge-Hayashi-Seiichi/dp/2915492913
ぐらんぴ2012年06月11日 16:17 削除
表紙がまるでフランスになってる。(*_*;)
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紅茶とマドレーヌ 2012年02月20日

マドレーヌ

失われた時を求めてBD表紙


六本木の喫茶店『クローバー』の閉店については前の日記にも書きました。

http://jun1tate.blog25.fc2.com/blog-date-201212.html

そのコメントに自己レスでこう書きました。

最後に、アールグレイの紅茶にマドレーヌを添えてもらって、懐旧の念に浸りたかったよ。

別のSNSにも同様の文を書いたけれど、どちらにも反応が無かったので「あれえ、すべっちゃった」と思ってたら、たっちんさんが「知らない人のほうが多いでしょう」

そ、そうだったか。私の友人のなかでも高度インテリ読書人に属するたっちんさんも調べる必要がある言い回しになったのね。(;_;)

「紅茶とマドレーヌ」というのは、かつては「ふとしたことで昔のことをパーッと思い出す」という現象を指してたんですね。

出典はマルセル・プルースト。
『失われた時を求めて』A la recherche du temps perdu
第一巻「コンブレー」のかなり早いところ(和訳本でいえば80ページぐらい)に記されています。手元の集英社版、鈴木道彦訳でその部分、紹介しますね。だいたい「あ、それなら知ってる」と思われるのではないでしょうか(と、期待して)

成年し、独身のまま、母親と一緒にパリに暮らしている主人公が、ある冬の日、陰鬱な気持ちで帰宅したところから始まります。

……母は「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりしたお菓子を一つ、持ってこさせた。少したって、陰気に過ごしたその一日と、明日もまた物悲しい一日であろうという予想とに気を滅入らせながら、私は無意識に、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくっては口に持っていった。ところが、お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏に触れたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあることに気づいて、びくっとしたのである。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちに入りこんでいた。
(中略)
いったいこの力強い喜びは、どこからやってきたのか? 私はそれが紅茶とお菓子の味に関連があるとは感じたが、しかしこの喜びはそれをはるかに超えたもので、同じ性格のものであるはずはなかった。それはどこから来たのか? なんの意味か? どこでそれをとらえるのか? 私はふた口めを呑む、そこには最初のとき以上のものは何もない。
(中略)
そのとき一気に、思い出があらわれた。この味、それは昔コンブレーで日曜の朝(それというのも日曜日には、ミサの時間まで外出しなかったからだ)、レオニ叔母の部屋に行っておはようございますと言うと、叔母が紅茶か菩提樹のお茶に浸して指し出してくれたマドレーヌのかけらの味だった。



――こうやって主人公は、幼い時、両親と一緒に田舎の別荘コンブレーで過ごした日々をつぎつぎに思い出してゆくのです。

ちょうど日本人の玩具で、水を満たした瀬戸物の茶椀に小さな紙切れを浸すと、それまでは区別のつかなかったその紙が、ちょっと水につけられただけでたちまち伸び広がり、ねじれ、色がつき、それぞれ形が異なって、はっきり花や家や人間だと分かるものになってゆくものがあるように(中略)全コンブレーとその周辺、これらすべてががっしりと形をなし、町も庭も、私の一杯のお茶からとび出してきたのだ。



私は中学時代の国語の教科書で、誰かのエッセイにそのことが書かれていたので、覚えていたんですが。
いや、さすがに今どきの人で、プルーストを読んでるなんて人は稀でしょうから、「そんなの知らない」って言われても仕方ないですかねえ。私だって全巻とびとびにしか読んでません。死ぬまで完全読破できるかどうか。(;_;)

まあ、そういうことなんですが、ここで私が気になったのは、具体的な摂取方法ですね。マドレーヌというお菓子は洋菓子屋に行けば売ってる。『クローバー』のような喫茶店へ行けば紅茶と一緒に出してくれる。
さて、それをどのようにして口に運んだのか。どうも文章だけではよく分らなかったんですね。「紅茶に浸す」というのがどれだけの量をどうやってやるのか、想像もつかない。
そうしたら、絶好のものを見つけたのです。
フランスのデルクール社から1998年、コミックス版(正しくはバンド・デシネ=BDと呼ばれるのですが、フランスでもmanga版と表現されることがあります)の『失われた時を求めて』が刊行されたんです。

http://www.editions-delcourt.fr/catalogue/bd/a_la_recherche_du_temps_perdu_1_combray

私は最後にパリを訪れた10年前、このBDを本屋で見つけて狂喜しましたね。だって主人公が紅茶に浸してマドレーヌを食べるところの絵がついてるんですから。(笑)

失われた時を求めてマドレーヌ

これを読んで積年の謎が解けた時は嬉しかったですねえ。まあフランス人に頼んで教えてもらえばよかったんですが。

このコミックス版『失われた時を求めて』は、第二巻まで白夜書房から発売されています。あまり売れなかったんでしょうね、本国では巻を重ねているのに日本語版は中断したままです。
でも、あのおそるべき冗長難解な文章で、最初の数ページで撤退するのが必定のプルーストを、少なくとも第二巻、「花咲く乙女たちのかげに」の前半まで理解できるのですから、このコミックス版はプルースト初心者には絶好の入門書ではないかと思います。

ということで、寒い冬の日、プルーストを気どって、熱い紅茶にマドレーヌのかけら浸して食べてみるのもいいのではないかと、まあそう言いたいわけです。(笑)

イイネ!(3) 冴月さくら くまくま('(ェ)') きた
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コメント

ひな_shella 2012年02月20日 07:09
おお、画付のものがあったんですね。

「紅茶とマドレーヌを試そう!」とやってみたところ、水分を含んだマドレーヌが
ボロボロのグズグズになってしまい、
日本の(というか今の)マドレーヌじゃダメなんじゃないか --- と書いてあった
エッセイか日記を読んだ記憶があります。

そっか…スプーンを使っていたのか…
コメント

わらねこ@笑夢猫 2012年02月20日 07:20
そこに突っ込むとよかったんだ!

すみません…当たり前すぎたので傍観してました。
ボイスで伏せ字にして、何やら、ぐらんぴさんがモゴモゴしてるなぁ…て、思っただけでした。

気が利かなくてごめんなさい。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月20日 07:35
>ひな_shellaさん
そうなんですよ。原文を読めば推測できそうなものですが、直接カップに入れてしまうんですねえ。(笑)
ハッキリ書かないプルーストが悪いわけではなく、フランス人ならみなこうしてるという習慣ですから、彼も省略したんですね。日本人が真似するかもしれないなんて考えてない。(笑)

まあ、これで食べ物の味と香りが記憶を触発するという現象を分かりやすく説明できるようになったわけです。「プルースト現象」と言ってもいいでしょう。

ぐらんぴ 2012年02月20日 07:41
>わらねこ@笑夢猫さん
いや、すべった責任は私にある。こんなところで謝ることないです。(^_^;) もう少し分かりやすく書かないとね。「プルーストのマドレーヌと紅茶のように」とか。ひとりよがりの文章はいけません。

ぐらんぴ 2012年02月20日 08:08
そうか、匂いが記憶を呼びさます現象は「プルースト現象」「プルースト効果」として学術用語になっているんだ。http://x51.org/x/04/08/0431.php

たっちん 2012年02月20日 08:20
ひょっとして、知らなかったのボクだけだったりして……。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月20日 08:29
>たっちんさん いや、そんなことは無いでしょう。プルーストは戦後、ブームになった時期があり、確か映画化もされてたんです。その時期、プルーストのマドレーヌは若者たちの合言葉みたいになったんでしょう。
でも、プルーストの「失われた時〜」を読んでみると、まあマドレーヌのところまではガマンするけれど、そっから先はもうダメだという人が続出して、ついにプルーストブームも終わっちゃいました。
その頃の人(私の兄貴ぐらい)が言い伝えないと、さらにもう一つ世代が下がるたっちんさんのところでは、プルースト現象も途切れちゃうってことでしょうね。

わらねこ@笑夢猫 2012年02月20日 08:48
確かに、ワタシの職場でも、たまに、その世代の方が読まれていますね。

ワタシが読み知っていたのは、学生時代の文学のセンセが読めと言ったからで、普通は手を出さないと思います。

コメント

霞 2012年02月20日 12:01
「失われた時をもとめて」、読みました。
なが〜いながい小説好きのわたしのこと
大学受験に失敗して、お茶の水の「YMCA」の英語学校に、腰かけで入学していたころ…。

そこの図書がかりになって、図書室の大長編をカタハシから読みふけりました。まだ本屋にも洋書はすくなかったし…。

プルースト「失われた時をもとめて」も。
さすが長編好きのわたしも、これだけは「スワンの恋」の部分しか読めませんでした。情けないです。たいていの本は完読するのですけれど。

紅茶は、手元に「アールグレイ・フレンチブルー」があります。いっしょに頂いたクッキーも、すばらしい香りとお味で、すぐに食べつくしてしまいました。紅茶は目白のかかりつけ医に、頂いたもの。

たわいないコメントですみませんが、香りのもたらす影響は絶大ですね。
コメント

たっちん 2012年02月20日 12:51
たった今観たアメリカの犯罪ドラマで、マドレーヌのくだりが音読されました。なんという偶然。
コメント

万里 2012年02月20日 14:03
おお懐かしや、マドレーヌ(笑)。

といっても、ご多分にもれず、σ(^^)も「失なわれた」全巻読破なんか、してないんですが、なんつーか、ともあれ、それにチャレンジしてた頃が懐かしい(//▽//)。

高校の乱読時代、世界文学全集を第1巻から読破せんとして、1巻目の古代文学、2巻目のホメロスまで行って挫折し(笑)、その次に、あれこれ迷って、途中でプルースト長そーぢゃん、でわ読もう、とか思ったのですが、「スワン家の方へ」の第1部前半で、これまた挫折。

その頃、懇意にしていた学校近くの古書肆が妙に凝った店で、仏蘭西文学や昭和初期の詩人の本などを蒐めていたので、通っていたのですが、そこに屯してた、今思えば大学の先生クラスかな、そういった「大人」の人たちに、プルーストで挫折した、ってな話をしたら、余裕の笑みで「あれは、ソドムとゴモラの章だけ読めばいい」「そうそう。あれが一番面白い」と云われたんですね。それで、まぁ、もう一回挑戦してみよーかと思って、ソドムとゴモラの章だけ、また高校の図書室から借りてきたんだけど、さすがに人間関係が判らず、また挫折した(笑)。

でも、シャルリュス男爵の名は、当時、澁澤龍彦氏の著作で、モデルがあるんだ、ってことは知ってたので、興味津々でしたがw。

もっとも、挫折したのは、文章のせいかも知れない。
訳文は、わりといいのですが、それでもあの息の長い文章は、ちと読みづらい。
フランスには、明晰ならざる文章はフランス語に非ず、との格言があり、実際、プルーストやジッドの文章は、とんでもない悪文だから、アカデミー・フランセーズが認めていないので、教科書にも載っていない、と(大学では)教わった。
ジッドの文章をプリント1枚もらって、来週までに訳してこい、との課題をうけて、辞書牽くのもメンドくさいバカ学生だったσ(^^)は、訳そうとしたんだけど、歯が立たない。仕方なく、書店に行って、文庫のコーナーでそれらしい本を探したら、どうやら「一粒の麦」らしい。今日出海訳だった。で、買ってきて、該当箇所を当たると、ちょうど、σ(^^)が訳せなかった箇所を、今日出海氏もトバして訳してやがんの(爆)。東大仏文の人が訳せないものが、オレに判るわけないぢゃんよ、ってーんで、バックレましたけどね。とにかく、指示代名詞がアチコチするわ、酷い悪文でした(仏語は、直近のものしか、指示代名詞にしてはいけないのだが、それを堂々と破っているのである)。
プルーストの原文も一度、見たことあるんですが、あれは、学部学生には、ムリだなぁ。。。


まあ、話をマドレーヌに戻すと――、
当時のσ(^^)は、そもそもマドレーヌ菓子なるものが、一体なんなのか、それすら知らなかった。だって近所にそんなシャレたもの出してくれる店なんか無かった(または知らなかった)。数年たって、ようやく現物にお目にかかった時には、プルーストなんか、知ったこっちゃないという感じだったんで、あまり感興もなかったなぁ。全てを思い出して、そうだったっけ、とか思ったのは、さらに星霜を重ねてからです。

しかし、フランス人って、パンとかでも珈琲などに浸して食うの好きですよね。
なんか、日本人的な考え方だと、それが「優雅」とか「品位」ないし「金持ちっぽい」とか思えないんだけど、あっちだと、平民から高等遊民にいたるまで、それやってて自然ですから。あれはフシギだ。

大学1年の時、無謀にも(数ヶ月しか仏語習ってない状態だから、現在形と近接過去/未来の時制しか知らないで)、ヴァカンス時のパリに1ヶ月、ホームステイしたんですが、朝と夕食は付いていた。で、毎朝、どんぶりのようなボールに一杯のミルク珈琲ですよ。カフェオレなんて生やさしいもんぢゃない、どっぷり半々くらいミルク入れた珈琲をどんぶりで出してくれるw。それにバゲットパンを浸して食う。これが仏蘭西式朝食。

あいにく、(16区の高級地区だったけど)フツーの家のホームステイだったんで、さすがにマドレーヌを紅茶で、とはいかなかったけど、あれはあれで懐かしいなぁ(笑)。
コメント

ぐらんぴ 2012年02月20日 14:10
>霞さま そうですか、やはりプルーストはダメだったですか。『源氏物語』も「須磨がえり』といって十一帖ぐらいで挫折する人が多いですが、『失われた時を求めて』は、『スワンの恋』がいいところですかね。しかし、これだけ高い評価を受けながら読破する人が少ないというのも珍しい文学作品です。ストーリーが波乱万丈ならともかく、日常茶飯そして過去の思い出がぐしゃぐしゃと綴られてばかり。しかも冗長冗漫な文章(本当は考えに考え抜かれた緻密な構成の文章なんですが)。読み通せた人は超人です。(笑)

>たっちんさん それはまた偶然もいいところ。シンクロニシティというんですね。その見本。

ぐらんぴ 2012年02月21日 06:01
>万里さん フランス人の家庭で一緒に暮らせたというのは羨ましい体験ですね。私はパリは十二回ぐらい訪問して、通算三ヶ月はいたことになるんですが、純粋フランス人家庭を訪問したことはないんですよ。在パリの日本人の家庭なら高級アパルトマンから低級アパルトマンまでいろいろ招かれましたけどね。だからパリジャン、パリジェンヌが日常どういうものを食べ、暮らしているのか分かってません。
全体的にホテル暮しで、朝食はコンチネンタルブレックファスト。水差しみたいなピッチャーにコーヒーとミルクと二つ。それを大きなマグカップに半々にジョバジョバにして、というのはやりましたけどね。パンは浸して食べるという習慣がないから、パリでやったことないです。レストランでの朝食でも他の人の見てなかったからなあ。
コンチネンタルの朝食はイギリス人からはバカにされますが、私はあれで充分でしたね。田舎のホテルだと目玉焼きにソーセージに簡単なサラダなんかついてましたけど、三種類ぐらいのパンにバター、ジャム、マーマレードがついて、コーヒー、ミルクのほかに野菜ジュースか果物ジュースがついて。うーん、充分充分。(^_^)パンは食べきれなくて、それをバッグに入れて出て、街歩きのさいちゅう、くたびれたらベンチに座ってそれを齧って、余ったら鳩にやって。これが楽しくて。(笑)
caféに入るとやはりコーヒーで、あとはビール(パリで呑むビールはうまい。乾燥してるからですね)。紅茶なんてめったに飲まなかったし、ましてマドレーヌと組み合わせて、なんて当時は考えてもなかったですねえ。
一度はどっかでやってみるんだった。(^_^;)
うーん、もう行く機会があるかどうか。リュクサンブルグ公園、荷風を偲んで何度散歩したかなあ。
そうそうコンブレーのモデル、プルースト自身の別荘があったイリエ(のちにイリエ=コンブレーになった)も、訪ねてみたいなあ。
うーん、寿命がもう少し欲しいところですね。

小夏マーマレード 2012年02月21日 20:36
私も母もフランスには行ったことはないのでわかりませんが

私の小さい頃の主食は、バターをたっぷり塗ったトーストをミルクティーに浸して食べる物でした


バターが溶けたミルクティーはとても美味しくて


あるとき、ふと思い立って、パンから溶けだすバターではなく、ミルクティーに直接バターを溶かして飲んだら、ものすごく美味しくて、ごくごく飲んでいたら、パンも食べなさい、と母に叱られました


クイズの答えは、なんとなくわかりましたが、もちろん読んでいません


でもなんでわかったのか謎です


コメント

ぐらんぴ 2012年02月22日 02:10
>小夏マーマレードさん バター溶かしミルクティー。そりゃ子供にはおいしそうだ。(^_^) どっかのメニューにあってもよさそうだけど無いね。栄養的にもいいし。
私が子供の頃は本当に寒い時期、学校に行く前の朝食には母が味噌汁にバターをひとかけが入れてくれましたね。熱いご飯にバターはいつものことで、北海道人はバターで大きくなったようなものです。

ぐらんぴ2012年02月25日 08:06
そうか、プルスートの「紅茶にマドレーヌ」は、私にとって「味噌汁にバター」なのだな。(^_^)

万里 2012年02月26日 17:32
>ぐらんぴ へ

そうか、結構、恵まれていたのかも知れませんね>σ(^^;)。

あの時は、語学研修の名目でのパックツァーだったので、格安の旅行ではあったのですが、それでも、当時のうちの家政から見ると、よく行かしてもらえたなぁ、と(今となっては)親に感謝しています。

ホームステイも、実際は、夏のヴァカンスの間、留守をする海外の学生の部屋を、又貸しする、といった形だったらしく、私は、どこかアラブ圏内の女学生の借りていた室を貸してもらってのステイでした。

場所は、16区(ブーローニュの森に近い、パリでも富裕層の住むカルティエ)でしたが、それほど丸金ではない、ごく普通のアパルトマンでした。メトロでいうと、 オートゥイユ教会駅のすぐ近くです。

1ヶ月間、借りている学生さんが帰省して、空き部屋となる、その一室を使わせてもらい、朝と夕食は出してくれて、昼は自分でセルフセルヴィスの店などで何とかする、と。
語学研修目的だから、メトロの10号線で、オデオン座近くにあるユーロサントルという各国の学生が集まる施設に通う毎日でしたが、それほどマジメには行かなかったな(笑)。

思い出としては、鍾愛するロートレアモンのパリ時代の下宿の跡を訪ねたり、ランボォの生地であるシャルルヴィルを(これは二度)訪れ、偶然にも資料館を訪ねていた日本人の女性と巡り会ったりと、およそ、名所旧跡などとは縁がない日々でした(これは、日本でも同じで、京都で、案内してくれた友人には、セッティングしてくれた行程の半分を拒否し、どうにか仁和寺だけ付き合ったくらいですから(笑))。

ルーヴルにはよく行ってたけど、ほとんどモナリザなんか目もくれないで、当時、入り口近くにあった、エルマフロディットの裸像なんかをスケッチしたり、毎週のようにトロカデロに行って、シネマテークで古い映画を観たり。コトバは少し不自由でしたが、楽しい毎日でしたねー。


バゲットパンをカフェオレに浸して食べる、っつーのは、あれ、パリジャン(ジェンヌ)たちは毎朝、出来たてのパンを買ってきて、食べるから美味いので、日本では、どうかなぁ。風土が違えば、味も違ってくるよーな気がします。

セルフセルヴィスの店で一番、安くて美味かったのは、アラブ圏の主食らしい「クスクス」だったかな。あれは、お代わりできたような記憶がある。
夕食も、なんか、出来合いの(安いデリカテッセン的な)惣菜ですませていたように思いますから、それほど、フランスの家庭料理、って印象ではなかったし。
最初の夜に、家主が寝静まってから、トイレに起きたんだけど、初めてみるビデしか見当たらず、その使い方が判らないので、往生しましったっけ(笑)。

あと、トイレのロール紙が粗末きわまるとか、エレヴェータ前や玄関ホールの照明が自動的に消えるとか、ケチくさいのにも驚きました。いまだに、そうだと聞いたけど、ホンマかいな。

まぁ、とにかく、ヴァカンス期のパリなんて、どこの店も休んでいるし、物価は高いしで、観光客として行くには最も不向きな時期でしょうが、こちらも観光なんて目的ではないから、それなりに楽しめた、というかw。
振り返れば、みな懐かしい、いい思い出です(^^;)。

荷風と漱石 2011年12月05日 02:49

長らく不思議に思っていることがある。
同時代人でありながら、永井荷風と夏目漱石はほとんど接触がなかった。そしてお互いに相手のことに言及した文章というのが無い。
『断腸亭日乗』でも荷風は漱石のことに一言も費やしていない。ただ漱石の死後、夫婦の内情を暴露した鏡子夫人をあしざまに罵倒している文があるだけ。だからといって二人が不仲だったとも思えない。
荷風は嫌いな人間の悪口を言うのが好きだから(菊池寛などさんざんである)、嫌いだったら日乗にそう書いたはず。ということはまったく関心の外だったのか。
帰朝後の荷風が『冷笑』を朝日新聞に連載したのは、当時朝日新聞社員で文芸欄担当だった漱石の依頼によるものだ。その間は漱石の弟子、森田草平がとりもち、1909年明治42年の秋、荷風は早稲田南町の漱石邸を訪い、漱石と面会している。
そういう関係であったのに、以後、荷風と漱石の間に交流らしき交流は無い。先に逝った漱石の葬儀に荷風は参列していない。
『冷笑』連載直後に荷風は慶応義塾大学に招かれて文学科教授となる。漱石は早稲田人脈の人だから、それがもとで疎遠になったのだろうか。それは、あんまり考えられない。
唯一考えられるのは『冷笑』を書いたことで何かトラブルが発生し、それを機に二人の仲が疎遠になったか、というもの。しかし、そういうことも巷間、伝えられていない。
まあ、生まじめな漱石、ひねくれ道楽者の荷風、二人とも顔をあわせたとたん「ああ、こいつとはウマがあわない」そう思ったと考えるのが妥当なところなのだろうか。
現在、二人の墓は雑司が谷霊園にある。二百メートルほど離れているが、二人が接点をとり戻したといえば言えるような距離ではある。

イイネ!(2) 霞 みゆき(M1号)
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コメント

ぐらんぴ 2011年12月05日 05:51
ちなみに荷風は1879年生まれ、漱石は1867年生まれで、漱石は荷風よりひと回り上になる。荷風が最も尊敬していた文学者は森鴎外で、1862年の生まれである。鴎外には親しみ漱石を疎んじた背景にはなにがあるのだろうか。気になるではないか。

ぐらんぴ 2011年12月05日 11:16
ちなみに荷風ファンと漱石ファンはどうも重ならないようである。私も漱石の小説は苦手だ。荷風にハマると「おたく」化するのも不思議だ。漱石ファンはそうでもない。足跡を辿り、些細な事柄を調べて熱中したりしない。漱石研究は作品論に集中し、荷風研究は私生活を暴く。まあ荷風には『断腸亭日乗』という尽きせぬ一次資料があるからね。

安達O@只今減量中 2011年12月05日 11:42
漱石は英国、荷風は欧州の大陸側、という違いは……いや、これは的外れですね。
コメント

霞 2011年12月05日 12:37
昔は人間関係が密だったから、当然荷風が、挨拶の訪問くらいはするのが普通なんでしょうけれど、荷風は向きたいほうにしか向かない方だったから、大いにあり得ますよね。

戦中、米不足で谷崎潤一郎邸に押しかけたのは、お米のためか、女性という接点があったためか?

近くの雑司ヶ谷墓地で、お尋ねしてきたいような……。
コメント

ぐらんぴ 2011年12月05日 16:37
>安達Oさん 行きたくないのに無理やりイギリスに行かされ、文化になじめず鬱病になった漱石。アメリカでは娼婦と同棲しフランスではフランス文化をエンジョイしまくった荷風。生涯一穴だった漱石、娼妓芸者から女中まで女とみれば必ず手を出した荷風。何から何まで正反対だったからでしょうねえ。『冷笑』は世情批判が表に出過ぎのさほど出来のよくない作品でしたから漱石は満足しなかった。それを察した荷風はあえて近づかなかった――というところですかね。ふつう恩義を受けた人にはそれなりに礼を尽くすのが荷風だったんですけどね。鴎外に対する生涯にわたる崇敬は、彼が自分を慶応の教授に推挙してくれた、その恩義に感じたからですね。

ぐらんぴ 2011年12月05日 18:36
>霞さま 荷風が終戦直前、勝山に疎開していた谷崎を訪問したのは、瀬戸内海沿岸では空襲の被害が多大なので、山間地に避難したかったからでしょうね。それと食料も田舎のほうが豊富ではないかと思っていたようです。それに自分を師と仰ぐ谷崎なら何かと面倒を見てくれるのではないか、という考えもあったのでしょう。谷崎はそれを察して、このあたりも食料事情は悪いし疎開先も少ないといろいろ説得してうまく荷風を岡山へ追い返した、というのが本当のところでしょうね。荷風はかなりがっかりしたはずですが、その時、終戦の報が入り、事態は一変しました。

ぐらんぴ 2011年12月05日 18:41
雑司が谷の荷風の墓は父、久一郎の墓の横で何の変哲もない姿ですが、漱石の墓は見たとたん誰もがギョッとする「威風」をそびやかして建っています。荷風はそれをみて「なんて悪趣味だ。とても江戸ッ子とは思えない」と悪口を言ってるんじゃないかって気がします。実際、妙に悪趣味な墓です。漱石に罪は無いんですが。

ゆうやけ公園 2011年11月07日

ゆうやけ公園


5日土曜日は市ケ谷のスペイン料理店で、近藤ようこさんの新刊『ゆうやけ公園』の刊行を祝う仲間うちの会食。
お店はスペイン大使館文化部が入るビルの最上階。イベリコ豚が売りのようだ。近藤ようこさんはなかなか素敵な着物姿で。『今日も着物日和』などという作品もあるから和服趣味なんだと初めて知った。いや、何度かお会いしたがいつも洋服だったので。

『ゆうやけ公園』は、まだ読んでなかったので帰宅後注文したら翌日曜には届いた。住宅街のなかの公園に住み着いたホームレス老人と近隣の人々との淡々とした交流と日常。連作短編集。
ホームレス老人は私を彷彿とさせる白髪白髯。私はいつかホームレスになるのではないかと思っているだけに、どうも他人事ではなくしんみりと読んだ。

http://www.tokuma.jp/book/tokumabooks/3086304630843051516c5712

イイネ!(3) 霞 きた 麻屋 寿@ロープ沖縄
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コメント

ぐらんぴ 2011年11月07日 07:40
ちょっと一つだけひっかかった描写が。ホームレス老人が痛風発作が起きて市民病院で診察されるエピソードがある。この診療は自費で受けたのだろうか。10年以上の失踪歴があるので、保険証を持って出たとして有効期限はとっくに切れている。自費だと診察費はそうとうに高い。それを払えたのかな。まあホームレスは平均10万円の現金は身に着けているというが……。

ぐらんぴ 2011年11月07日 16:10
近藤ようこさんは、女流漫画家のなかではわりと男性愛読者が多い人だと思ふ。私も知り合う前から名前を知っていたのは、本棚に何冊か並んでいたため。めったに女流漫画家の作品なんか読まないのに。

スタインベック覚え書き 2011年09月15日

steinbeck.jpg


ジョン・スタインベック。
アメリカの文学者。ノーベル文学賞受賞。
著名な作品は『二十日鼠と人間』、『怒りの葡萄』(ピュリッツアー賞受賞作)、『エデンの東』、『我らが不満の冬』。
1968年、66歳で死去。かなり老人っぽい顔が著作近影に使われていたから、そうとうな年で死んだと思っていたら、なんと私のほうが彼の享年を越えていたとはね。

スタインベックで思い出すのは、ベトナム戦争たけなわの頃、最前線を視察して書いた従軍記。日本では毎日新聞が連載した。全面的にジョン・ウェイン的愛国主義の筆致で、時のジョンソン政権を支持し兵士たちを鼓舞している。私たち学生は「あのスタインベックがこんな偏狭な反共思想の持ち主だったとは……」と、かなり驚愕失望したのを覚えている。
ベトナム戦後、日本でもスタインベックの書が読まれなくなったのは、この時の従軍紀行のせいではないだろうか。ちなみに私は一冊も読んでいない。『エデンの東』(自伝的長篇)を映画で見たぐらいである。

さて。今家人が捨てる書のなかに『アメリカ大西部』(猿谷要、新潮選書)を見つけたので救出、どんな本だったかな~と最初のほうをパラパラめくっていたら、こんな描写が目についた。
サン・オーキン平野(サンフランシスコとロスアンジェルスの間にひろがる肥沃な平野)について語ったあとで、

《もちろんこの平野も、初めからこれほど豊かだったわけではないし、人びとのパラダイスだったわけでもない。それはいま私たちが進んでいる前方の(注、つまり平野の東北部)山のうしろにある小さな町、サリーナスに生まれ育ったスタインベックの、あの『怒りの葡萄』を読めば充分に分かるはずである。その小説に描かれた農業労働者の悲惨さに、サリーナスの人びとはスタインベックを憎み、和解のないままに、文豪は一九六八年に世を去った。(一九七八年二月二十七日、スタインベックの生誕記念音楽祭が、生地サリーナスでひらかれ、このノーベル賞作家は、死後十年めにして、サリーナス市民と和解し¨市民権¨を回復した。》



ああ、そうだったのか。そりゃそうだよな。舞台となった町のプライドというものがあるからねえ。いくら文豪の生誕地だったからとはいえ、自分たちの町をひどく描かれたサリーナス市民は死ぬまで彼を許せなかったのだ。
しかし10年目に許したというのは、「スタインベックを生んだ町ということは、観光資源になるのではないか」という思惑があったからではないか、という気がする。
たぶん今ではサリーナスのあちこちにスタインベック記念館とか由緒にからめた名所があちこちにあるのではないか。スタインベックにちなむ土産物もあるかも。

これは奇しくも日本の文豪、夏目漱石と『坊ちゃん』の舞台、松山市の関係を連想させる。
松山の中学校で英語の教授をしていた夏目漱石は、校長より高い給与をもらっていたのにこの町と学校と生徒が嫌いで嫌いで、1年で辞めてしまった。それから十年後、『坊ちゃん』でこの町と市民と生徒をめちゃくちゃ罵倒した。最後には「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。」
とまで書かれたのである。
当初、この作品が発表された時、松山市民は激怒したという。市長も怒りまくったらしい。まあ、それが正当な反応だろう。スタインベックが描いたサリーナスの市民もこんなようなものだったろう。
それがどうだろうか、今や夏目漱石は松山市の観光資源。坊ちゃん饅頭から坊ちゃん電車まで何でもある。もう夏目漱石さまさま。

スタインベックとサリーナス市民の和解は30年ぐらいかかった。漱石と松山市民の和解はどれぐらいだったのだろうか。

スタインベックのサリーナス、漱石の松山、作品のなかで悪く書かれた住民たちが憎んだり愛したりした例は他にどのようなものがあるだろうか。

イイネ!(4) ワグマ 猫神博士 きた かおる姫
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コメント

霞 2011年09月15日 16:42
わたしは、昔、主人を送りだしたあと「怒りの葡萄」を読みはじめました。
長いですよね~。でも主人の帰宅もいつになるやらわからないので(笑)
それにわたし、当時は全十巻なんていう、大長編小説ばかり読んでいましたから。外国小説ばかりになってしまいますが…。作中の主人公たちとわかれたくなくなっちゃうんですかね~。

主人が帰宅したのは、朝日がのぼりはじめたころ。読んでた本が悪かったのか…。朝帰りなんてめずらしくもないのに、急にハラがたって、わたし喧嘩を吹きかけました。「怒れる若妻」です。(笑)

しかし酔って朝帰りの夫には、ぜんぜん通じず、すぐに高いびきで眠ってしまった。おたずねのお答えにはなりませんが、くっきりと思い出してしまったので、ゴメンナサイ。

ぐらんぴ 2011年09月15日 17:14
>霞さま
人に歴史あり歌に歴史ありと言いますが、書物にも歴史があるのですね。私は旅の時に持参していって、宿泊先で読んでいますが、そういう書物は旅とは無縁なのに、あとで旅の思い出とともに甦ります。
そうやって書物は人生の一部に組み込まれるんですね。

今調べたら、サリーナスの町には思ったとおりスタインベック記念館がありスタインベックの生家や父親の経営していた飼料店(現在はコーヒーショップ)などが観光地となっている由。ただし通りすがりの観光客には、スタインベックとこの土地の人々の確執などは窺い知るべくもないようです。

マーサ☆リノイエ 2011年09月16日 07:41
西原理恵子さんの「この世で一番大事な『カネ』の話」(理論社)という青少年向けの本が、すごかったです。

町の名前は書いてありませんが、高知の工業団地の町と書いてあります。
実のお父さんはアル中で、三歳の時にドブにはまって死んじゃって、
育てのお父さんはギャンブル中毒で、大学受験の日に、お母さんをボコボコに殴って血だらけにした挙句、首を吊って死んじゃう話です。
それがさほど珍しくなく、女の子も男の子もシンナーで誰かれ構わずやりまくり、気がつくとどこへ行ったかわからなくなるか、太って怒ってばかりいるおばさんになるそんな町から逃げ出すお話です。

ぐらんぴ 2011年09月16日 07:47
>マーサ☆リノイエさん 西原女史はもう自分の少女時代のこととなると、クソミソですもんね。先生の悪口などすごい。言われた先生は怒るより先に自殺したくなるんじゃないかというぐらいの罵詈讒謗。その『カネ』の話に書かれたのも女史の育った町のことなんでしょうねえ。果たしてサイバラは生まれ故郷の町に迎え入れられるのか。

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